2011年1月11日火曜日

西洋美術史から日本が見える(PHP研究所)

著者:木村泰司 出版社:PHP研究所 発行年:2009年 本体価格:700円
内容的には西洋美術というよりも「西洋的なもろもろ」から日本独特の文化をあぶりだしていくというもの。ボージョレ・ヌーボーをありがたがるのも日本特有の文化らしいのだが、初鰹をありがたるようなもので、別にこれはこれで個人的にはいいのではないかな、とは思うが著者はけっこう厳しい見方をする。映画「アメリカン・ビューティー」で前庭に赤い薔薇を植え込む主婦を評して「それだけで俗物性がわかる」という分析には感服。確かにヒトに見せるべき花とそうでない花とは確かに違う。ブランド品のロゴなどもこの赤い薔薇と同様の構図がみえてくるのかもしれない。存外金持ちほどブランド品はブランドとはわからぬように着こなしているし、花もTPOに適した花を植えているような気がする。ルネサンス以降の自由な絵画のなかでもフィロソフィーがある作品が「上質」とされる文化の土壌があることは初めてしった。歴史絵画はもともと上位に位置するものとはしっていたが、それは画家も鑑賞者も一種のフィロソフィーをもっていなければ鑑賞しえないから「上質」それにひきかえて「人物の絵画はねえ…」という一種格落ちの時代が続いていた模様。日本はもともとそういう文化ではないし、茶の湯などで千利休が使っていたお茶碗という生活用具そのものが美術品となる。さて、こうした構図。日本のほうが美的センスの幅が広いのではないかと思うのは私だけか。タイトルは非常に固いが、内容はきわめて読みやすく、ワイン通やフランス通には相当の罵詈罵倒があびせられている面もあるが、それはそれで面白い。「総体として楽しむ」ということはつまり特定の個人への罵詈罵倒は悪趣味だが、不特定多数への皮肉はむしろブラック・ユーモアにもなりうるということを身をもって示した新書でもある。

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