2008年10月15日水曜日

性のアウトサイダー(青土社)


著者:コリン・ウィルソン 出版社:青土社 発行年:1989年
 図式的にすぎるという批判はあれど非常に面白いコリン・ウィルソン。常識の枠内ですべて分類・解決してくれるので、読者はあまり違和感を覚えずに、これまでの「アウトサイダー」を分類・検索できるという魅力がある。実際にその世界に足を踏み入れている人には逆に「ぜんぜんわかっていないだろう」という反論は予想されるが…。入手したのは単行本だが、文庫本でもすでに発刊されている。また「アウトサイダー」も集英社文庫からすでに発刊。
 シャーロット・バッハという謎の「女性」とのその独自の哲学の分析から、マルキ・ド・サド、ルソー、ゲーテ、バイロン、プーシキン、レールモントフ、ゴーゴリ、ロートレアモン、フロイト、ジョイス、ロレンス、ヘンリー・ミラー、ユング、アラビアのロレンス、ヴィトゲンシュタイン、三島由紀夫とoutsaiderの分析を一通り終える。人間の進化を「想像力の発展」にもとめるコリン・ウィルソンは、加熱した想像力はマズローの欲求段階を下にひきさげるとともに、現実感との間を産むとする。クライシスによってより高見にある「鳥の目」に達することもできるが多くの場合、クライシスに直面しないかぎりは人間は「虫の目」でしか現実を生きることができない。過去の辛さの経験、生活感現実感を人間は進化の過程で想像力で「鳥の目」まで高めようという努力をしてきた。そしてそれには幾分かは成功している。自ら切迫感をよぼこして、虫の目から鳥の目へ視点を移動させる。脆弱な想像力しかもたないもののみが、実際にはアウトサイダーになってしまう…という単純明快な論理は、やや過去に名声をはくした世の有名人には気の毒な結論だ。だがしかし多くの人間は「アブノーマル」な世界に陥ることなく、現実の世界に生きている。現実の世界の中でさらに高見をめざして「進化」していくことにこそ想像力革命がある(ある意味19世紀のロマン派についてはコリン・ウィルソンは否定的な立場であるともいえるだろう)。失望や絶望すらも想像力と現実感覚とでのりきれることがある…とするコリン・ウィルソンの哲学は楽観的に過ぎるかもしれない。しかし多くの人間は悲惨な状況にあっても必死で生きようとしている。それは楽観的すぎるからかもしれないけれど、近未来もしくはトータルな死後の世界も含めて、きわめて倫理的な想像力の進化によるものというのが著者の結論でもあり、私の個人的解釈でもある。

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