2010年9月26日日曜日

29歳でクビになる人、残る人(PHP研究所)

著者:菊原智明 出版社:PHP研究所 発行年:2010年 本体価格:720円
 いち早くいったん会社を辞める人の場合、①純粋に会社がいや②自己認識と会社認識のズレ③未来への希望といった要因がからみあっているような気がする。未来への希望のために司法試験に挑戦するとかいうのは、会社勤めとは違う選択肢だし、確かに若いうちでないと挑戦できない路線なので理解はできるが「ど~う考えても問題あるだろ」という能力で転職やヘッドハンティングを狙う20代というのは理解不能。だってまだ投資段階で未回収資金を借り入れているような状態なわけだし。で、影響力を地道に積み上げていくタイプや下積仕事を積み上げていくタイプというのは会社にとっても大事な人員だから「クビ」もしくは左遷はされないが、あらさがしの名人や部下や後輩を部品のように使う人がクビになる理由、なんとなくわかる。
 いわば常識かな、と思っていたことが実はこうして新書になると案外常識以外のことなのかもしれない。まだ「知らない人」「わかってない人」には参考になる一冊だと思う。また30歳以上の人はおそらくこの新書の内容レベルは常識でさらに応用スキルが試されることになるだろう。マスコミなどで報道される「残される人材」「残す人材」ってのは40歳以上のベテランを中心にした議論になっているのかもしれない。

2010年9月23日木曜日

だまされ上手が生き残る(光文社)

著者:石川幹人 出版社:光文社 発行年:2010年 本体価格:780円 評価:☆☆☆☆
 タイトルでずいぶん損をしているような気がする。本屋さんでぱっと手にとる効果はあるが、内容とタイトルがうまく対応しているかどうか…。むしろ副題の「入門!進化心理学」を前面に出したほうが長期的には得策だったような気が。遺伝情報は多様化するといった基本原理を紹介し、原始生物の時代からいかにして学習するのかを解明してくれる。原始生物がエサや栄養を見つけた状態を「快」とすると、そのときの「(細胞同士の)接続が強化」されて、学習の仕組みが獲得される。人間になってもいわば「快適さ」が行動を変えて学習していく仕組みは同じ。必要な機能となる接続が強化されてそうでない接続は退化していくという仕組みだ。
 これをさらに発展させて考えていくと「心地よさ」が学習につながるのであれば、多少真実とは違っても「だまされても心地よい」と感じれば学習効果がでてくるということになる。そのほか疫病などの免疫システムを作るのにはオスとメスの両方が存在したほうが遺伝子を変えていくのに効率的であるなどの理論が紹介され、さらに「遺伝子がすべてではない」という前提を繰り返し著者はメッセージすることで、生物学的な一つのものの考え方を提示してくれている。「社会的な掟」にも一定の理由があるという明確な説明もあり、こういう本が昔からあれば太宰治の人生なども相当違っていたに違いない、などとふと思う。

永遠の0(講談社)

著者:吉田尚樹 出版社:講談社 発行年:2009年 本体価格:876円 評価:☆☆☆☆☆
 現在大手書店のほとんどで平積みになっている文庫本。司法試験浪人生の「わたし」は姉とともに、祖父の海軍時代の知人を訪ねて、太平洋戦争の歴史をたどっていく。ガダルカナル、ラバウルをへてついに祖父は鹿屋基地へ。鹿屋といえば、神風特攻隊が出撃した基地として有名だが、それまでかたくなに「生きること」に執着していた祖父は突然神風特攻隊に志願する。その理由はなぜか…。すでに8月15日は毎年なぞられていたはずの日本海軍の歴史が個人の歴史を追う形で再現され、さらに下士官内部の階級意識や備品よりも軽んじられた兵卒の苦渋があぶりだされていく。イデオロギッシュな問いかけは新聞記者の「高山」が場違いに発して読者をミスリーディングしないように配慮され、物語は終戦後の歴史から現在にまでたどりつくという見事な構成。これはやはり日本人ならばだれもが手にしておかしくない小説だ。

名門高校人脈(光文社)

著者:鈴木隆裕 出版社:光文社 発行年:2005年 本体価格:950円 評価:☆☆☆☆
 かつて公立高校の一部は旧制中学の系譜をつぐ伝統校として地域社会に存在していた。今でもその名残は多少なくはないが、多くの都道府県では教職員を一定期間の間に配置転換するため、私が高校生だったころのように奉職35年とか40年とか学校と一体化して存在しているような教職員は今では存在しようがない。学校は生徒と教職員が一体となって一種の校風を作り出すが、カリキュラムなどデジタルなものは後の世代に引き継ぐことができても、数値化しにくいアナログなものは人と人とで相互に伝承しあうほかない。一定期間の配置転換はそうしたアナログな伝承形態を不可能にしたが、公立高校が長期低落傾向にあるのは、私立が教職員を定年まで確保し生徒を教育することが可能であるのに対して、公立は毎年毎年人間が入れ替わるため「建物」だけが引き継がれて中身は毎年流動的になっているためではないかと思う。これは日教組のせいではなく、むしろ教育委員会のほうに問題があるだろう。
 さて、この本では公立高校・私立高校・国立高校の3つに大別して各都道府県の名門校と卒業生の有名人を紹介している。いや、本当に名門っていうのはすごい。「この人とこの人が同じ高校だったのか」「この人は受験学校にいたのか」という驚きの連続だ。こういうバンカラ的な気風と管理教育はまったく相反するものになるのだが、はたして管理教育がどこまで成功するのかはこの本を読むと疑問。概して高校卒業後になにかしらクリエイティブな作業をしている人は大学を中退したり高校も中退したりとけっこう派手な青春時代を送っているし。
 高校生活に悩める人もこれから高校を受験する人も、「バンカラ」「旧制中学」と現在のありかたを比較検討して進路を決める方法もありだろう。残念ながら受験勉強そのものはもう私学にかなり勢力をうばわれているが、それでもなおかすかに残る伝統の気風がもし自分にあうと思ったのなら、そうした「名門高校」で3年間を過ごすのはかなり有意義なことではないかと思う。

2010年9月21日火曜日

「怖い絵」で人間を読む(NHK出版)

著者:中野京子 出版社:NHK出版 発行年:2010年 本体価格:1100円
 人気シリーズ「怖い絵」とはまた違う視点で、編まれた新書。やはり面白い。「怖い絵」シリーズと重複する絵画もあるのだが、「狂女ファナ」「フェリペ・プロスペロ王子」などはハプスブルグ家の系譜に興味をひかれてはまりこんでいる私には、解釈の一文一文が面白くてしょうがない。絵画には矢印がひかれて、解説が読みやすくなっている。スペイン・ハプスブルグ家の最後は「カルロス2世」だが、面長でやや癖のある表情は、やや病的な性格をそのまま絵画が写し取っているようにも見える。新書なので4色のページで絵画を楽しみつつ、著者独自の「怖い解釈」を読むことができる。こういう綺麗で丹精こめて作られた新書を手に取ると、電子書籍の時代とはいってもなかなか本と同様に読者が楽しめる時代はそうはこないのではないかという思いもする。

2010年9月20日月曜日

はじめてのスマートフォン(中経出版)

著者:ノマディック 出版社:中経出版 発行年:2010年 本体価格:533円
 「携帯電話」という用語から「携帯端末」という用語に変化しつつある現在、スマートフォンは電話というよりも確かにパソコンの進化した形でさらには「通話もできる」という新しい端末だ。
 パソコン雑誌を1週間に1度なるべく読むようにしているが、一週間単位では読み込めない変化をこの文庫本で知ることができる。iPadの利用方法なども言及されており、携帯電話以外の利用方法を考えるにはこの本はそこそこ使える内容だ。携帯電話には現在の携帯電話をそのまま利用して、端末として利用する場合にはiphoneを使うといった「2台持ち」も当然ありうる展開だろう。ネットブックも便利なのだが、いかんせん旧来のパソコンと同じなので電源をいれてOSをたちあげて…という一連の手続きが面倒。携帯端末だとそのままウェブの世界とつながるだけに、今後スマートフォンの利用はさらに進むだろう。携帯電話を電話として利用するケース、実は自分でもそれほどなかったりする。内容は陳腐化が進む内容だが2010年年末までは使える内容ではないかと思う。

貯金生活宣言(ディスカヴァー)

著者:横山光昭 出版社:ディスカヴァー 発行年:2010年 本体価格:1300円
 貯金についてはやや独自のノウハウに自信はある。が、この本もまた、適正な消費と投資、そして浪費の3つのバランスで貯蓄術を解いているあたりが面白い。40点の家計を70点に伸ばすというコンセプトなので「クレジットカードはあまり使わないほうがいい」などわりと常識的なことから解き明かし、老後費や生活習慣とのかかわりなどまで解説。個人としては「ナニワ金融道」あたりから「クレジットは怖い」というのを頭のなかにしみとおらせていったが、この本は著者の種々の実体験をもとに著述。保険の入り方などの入門書にもなる。定期預金と保険の違い、万が一の保険の有用性などもわかる仕組みに。
 まだまだマネープランや貯金の話というと「え?」という感じで、やや「知的レベルの低い話ではないのか」という認識をされがちだが、余裕のある生活や万が一のトラブルに備えておくのも大事なこと。すでに常識としているようなテーマが多いが逆に考えると、「この本読んで初めて知った」ということが多数あるようならば、それはそれで問題かも。現実を認識して、それから問題点を解決していく。病気や失業などのトラブルなどと同様に「手元不如意」であるならば、どれだけ「不如意」なのか、どうしたらいいのかを立案して具体化していくのがやはり大事。

2010年9月19日日曜日

悪人 上巻・下巻(朝日新聞出版社)

著者:吉田修一 出版社:朝日新聞出版社 発行年:2009年 本体価格:540円 評価:☆☆☆☆
 2010年9月11日公開の映画「悪人」の原作。深津理恵はこの映画でモントリオール世界映画祭で受賞している。新聞記事のような味気ない始まりの事件が、関係者のいろいろな証言で肉付けされていく。最後の疑問、「そうなんですよね?」に確固と自信をもって答えられる読者はいない。緻密に計算されたプロットと九州久留米駅周辺のリアルな描写(そしてそれは日本中のあちこちの街でも見られる過疎化の一つのあり方でもある)、29歳の婚期を逃しそうな女性と携帯電話の出会い系に救いを求める男女。ウェブがもたらした殺伐とした世界に救いを求める若い男女の姿は21世紀の孤独を浮き彫りにする。そして勝ち組と負け組の先が見えない「格差」も。
 これがミステリーか、といえばミステリーなのだろうけれど、お互いがお互いを傷つけあう中に、先の見えない男女の姿がみえてくる。ただひたすら逃げていくしかない男女の姿に、また何かに追われ続けている平凡であるはずの読者の姿がまただぶっていく…

2010年9月18日土曜日

新聞消滅大国アメリカ(幻冬舎)

著者:鈴木伸元 出版社:幻冬舎 発行年:2010年 本体価格:760円
 サンケイ新聞が記事の一部を無料公開しているIZAなどが顕著な例だが、日本の新聞社でも新聞記事を無料であるいは有料で公開しているケースが増えた(日本経済新聞はコンテンツを有料で公開)。アメリカの新聞社は地域密着型の新聞社が多いが日本の四大新聞は全国紙で地方紙でも一県に一社というのが相場。したがって経営状況の悪化とはいってもアメリカと日本では様相が異なってくるが、新聞のコンテンツをウェブで公開した場合、自宅に配送してもらう新聞購読をやめる家計や会社も当然減少してくるだろう。特にリーマンショック以後は個人も企業も消費を抑制気味なので、ただ単に情報を入手するだけならば、ウェブであっても別に問題はない(社説やコラムなどは読めなくなるが)。
 アメリカの新聞社を調査したこの本だが、地域社会に根付いた新聞社が消滅することで地方の民主主義が衰退していくというマイナス面が指摘されている。確かに新聞社が淘汰されて地方紙が消滅していくケースが将来発生した場合、日本でも地方議会や行政の民主主義や住民のチェック機能は働きにくくなるだろう。ただし地方の情報配信に特化したサイトが立ち上がればそうした問題点は解決するわけでもあるのだが。
 
 情報を取材する一部の新聞記者とただその情報を流通させるだけのウェブというすみわけになった場合、というよりもそうなる可能性が高くなるが、ジャーナリズムの形態も少数の会社員新聞記者と多数のフリーランス新聞記者という形に2分化していくのではないかと個人的には感じた。印刷して配送するよりも新聞記者の携帯情報端末に記事を入力してアップロードさえすれば緊急記事もすぐ大多数の目に触れることになる。いわゆる「特種」というのも、今後はウェブ配信がメインになる可能性は高いだろう(芸能記事はすでに芸能記者の取材よりも芸能人の個人ブログの配信というケースがすでに生じている)。いわゆる記者クラブが抱える問題点も官公庁のウェブ配信と情報公開法の2つの要因で自然消滅していくと推測される。ただしそのケースであっても「自分たちの組織には不利な情報だから隠蔽しておこう」というケースでは、フリーランス新聞記者が登場することになる。独自の人脈とテーマを抱え込むフリーランス記者のケースではほとんどはお金にもニュースにもなりえないが、特種や取材対象に食い込んでいくルポなどではウェブ時代になっても強みを発揮するだろう。ただ、そうしたケースでは「新聞記者」というよりも『フリーランスのジャーナリスト」というもっと広いカテゴリーで職種をとらえていかなければならないが。

ケーススタディで学ぶ入門ミクロ経済学(PHP研究所)

著者:石川秀樹 出版社:PHP研究所 発行年:2010年 本体価格:3,000円 評価:☆☆☆☆☆
 学生時代には林敏彦先生の「ミクロ経済学」を読んでいた。無論名著であるが、社会で働き始めるとそのほかスティグリッツやマンキューの経済学入門の書籍が刊行されたり改訂されたりしても読もうという気にはなかなかなれない。ミクロ経済学についてはある程度素養があるつもりだが、実務で活用するにはやはり縁遠い世界だと思っていた。
 この本は書店で手にとって「これは使えるかも」と思い購入。実際読み始めてみるときわめて面白く3日ほどかけて読み終わる。ミクロ経済学のかなり微妙な前提(人的資本の限界投入など)は現実には不向きだと思っていたし、機会費用概念は会計学的費用で動いている現実の企業活動を説明するには抽象的過ぎる。ただし限界費用が増加してその後に平均費用が増加するということがこの本で指摘されており、確かにそう考えると本来あるべき最適生産量(限界費用と限界収入が一致する生産量)よりも現実には多めに過剰生産されていることに気がつく。「ちょっと少なめ」の生産量で実際には在庫などの社会的コストも削減できる余地があるということになる。
 一般のテキストにはほとんど全部の前書きに「学生やビジネスパーソンに」と書いてあるが、ビジネスパーソンのつかの間のひと時をミクロ経済学の学習にあてるのには最適の1冊。最近過剰生産気味の「ビジネス書籍」よりもずっとビジネスにも生活時間の充実にも役立つことだろう。

2010年9月12日日曜日

ニッポンの刑務所(講談社)

著者:外山ひとみ 出版社:講談社 発行年:2010年 本体価格:800円 評価:☆☆☆☆
 刑務所もしくは刑事施設の写真がこれだけ収録されている本は珍しいのではないか。おそらく刑事施設の職員および幹部からよほど信頼を勝ち得ていないと撮影どころか立ち入りも難しかったのではないかと思うが、1つのテーマにこだわり、何度も取材を重ねていった結果がこの新書に凝縮されているのだろう。力作であると同時に貴重な歴史資料にもなりうる内容だ。
 過剰収容や犯罪の国際化・高齢化、刑事施設の過密化といった問題点とともに、刑事施設の「雰囲気」が漂ってくる。またエステティシャンの職業訓練なども実施されている様子が写真で掲載されており、「刑事施設の職業訓練って役に立つんだろうか」といった疑問も融けてくる。累犯が多いのが特徴だが、その分100人のうち1人でも更正復帰することが職員の方々の生きがいともなっているようだ。少年院和泉学園のシンクロナイズドスイミングやハイテク刑務所(PFI)など時代の流れと変化に対応しようとしている現場の様子と人手不足の過剰労働の様子も克明に描写。2020年、2030年に刑事施設の課題といったものを論じるときの1級資料であると同時に、ただ「刑務所って怖い」という知らないが故の「怖さ」を払拭するにも有用ではないかと思う。一種の隔離施設ではあるが、だからといって自分の住んでいる一般社会と無縁の世界ではなく、その「隔離施設」からいかに一般社会に引き戻すかは、他の社会人にとっての責務でもある。ただ単に無知からくるゆえの「怖い」は、累犯を増加させることにしかならない。

2010年9月7日火曜日

怖い 絵2(朝日出版社)

著者:中野京子 出版社:朝日出版社 発行年:2008年 本体価格:1800円
 価格はやや高めではあるものの中身が面白いので気にならない。表紙はファン・エイクの「アルノルフィニ夫妻の肖像」。どれも面白い解説の本だが個人的には図解されたエッシャーの「相対性」の解説が面白い。3つの世界が同じ建造物のなかで交錯するという仕組みをわかりやすく解説してくれている。映画や写真がなかった時代、あるいはあったとしても単に現実を切り取るだけでは創作意欲を満足させることがなかった画家たちの巧みな仕掛けを中野京子氏が独特の視線で読み解く。単に綺麗だとか神話からモチーフをとったというだけではなく、人間の「業」みたいなものを絵画からつむぎだして、ひょっとしたら画家の本意ではないかもしれない別の「怖い物語」をつむぎだしてしまうのだから、これはまたすごい才能だ。絵画から別のオリジナルの解釈や物語をつむぎだす才能。これはこれでまた怖い才能ではないかと思う。
本の装丁もまた美しいが、タイトルのつけ方がまた絶妙。新聞では「怖い絵」として紹介されているが、実際には「怖い」と「絵」の間に全角アキの空白がある。「怖い 絵2」というのが正式なタイトル。この空白一文字分に読者の思い入れをこめることもできるし、作者の語りつくせない物語を読み取ることもできる。なんともいえないこの空白がまた「怖い」。

2010年9月4日土曜日

英仏百年戦争(集英社)

著者:佐藤賢一 出版社:集英社 発行年:2003年 本体価格:680円
 なんでいまさら百年戦争か、というと「大聖堂」シリーズを読んで中世社会に興味をかきたてられたから。特に「大聖堂 世界の果てまで」シリーズはちょうど百年戦争でエドワード3世がフランスに侵攻した時代。日本人にはちょっと理解しがたい戦争も、フランス人の権力争いという構図でとらえ、国家という認識がまだ共有されていない時代の話と考えると理解ができるようになってくる。小さな町の農民にとっては領主が絶対であり、領主は最終的には国王の臣下として動く。それだけ国王の座は魅力的なポジションであり、フランス王の王座をめぐって、ノルマン王朝の系譜が異議をとなえた結果、フランス人同士の争いがえんえんと続く…という展開に。そしてその流れから今度は薔薇戦争が派生して発生するという流れも理解できる。
 封建制度というのは昔は無理やり記憶させられた用語だったが、なるほど封建制度があったからこそ国家という概念がなくても「国」レベルの軍隊が組織化され、戦争をすることもできた。利権のシステムでもあり、それは軍隊を差し出すことと領土を増やすことがセットになっていたわけだ。著者オリジナルのジャンヌ・ダルクの分析など興味深い著述が満載。