2009年3月31日火曜日

常識として知っておきたい世界の三大宗教(河出書房新社)

著者:歴史の謎を探る会 出版社:河出書房新社 発行年:2005年 評価:☆☆☆☆
 三大宗教の「大まかな違い」について知りたいが、かといってあまり大きな専門書籍まで読みたくないなあ…という読者向けのかなりコンパクトに要約してくれた文庫本。この手の本の中ではかなり内容も優れており、年表、図式化さらには地図なども豊富に掲載されている。参考文献が220ページに掲載されているが、この本でもっと深く知りたい内容がでてくればこの参考文献にあたっていけばいいという道筋もできあがる。「ジハードとテロリズム」(PHP研究所)なども読んでみたくなったし、マホメッド自身が商人で、さらには商業や交易、貿易と通じてイスラム教が伝播していったプロセスというのも面白い。「ヨハネの黙示録」の扱いも適切で、新約聖書の中では唯一の預言書だが、ホラー映画などでその一文などがおどろおどろしく使われるのに対してかなり冷静な記述で好感が持てる。いわゆる外典については参考程度にしか記述されていないが、もしそれをやると「ダビンチコード」並みの厚さになってしまうので、キリスト教の紹介にしてもかなり分量も内容も適度といえるだろう。詳細はもちろん専門書籍だが、本当にハンディにいろいろ確認しようかな、というときには資料としても使える文庫本ではなかろうか。

2009年3月30日月曜日

乳房とサルトル(光文社)

著者:鹿島茂 出版社:光文社 発行年:2007年 評価:☆☆☆☆☆
 「巨乳」と「小乳」と聖母マリア像の絵画を比較して分析しはじめるこの書籍。歴史と現代のあらゆる雑学と考察が詰まった優れたエッセイで、「ああでもない」「こうでもない」と妄想しつづけることの快楽をトコトン追及してくれる。物理や数学ではないので「絶対的な正解」というのはないが、「もしかするとそうした仮説も当然成立しうる」と読者が納得できるだけの理由づけも豊富に掲載されている。ちなみに「小乳」という言葉が正式なのかどうか実は確証がないのでgoogleで検索してみると、「微乳」(817,000件)、「小乳」(427,000件)、「貧乳」(228,000件)、「貧乳」(2,620件)という順序になった。巨乳という「用語」がわりと一般的なのに比較すると「小乳」のほうがバリエーションが多彩。言語表現が多彩なほうがおそらく文化的には芳醇なので、「小乳」のほうが文化的には優れているはずだ。聖マリア像ではないがルーカス・クラナッハの描いたヴィーナス像などは「小乳」というのにふさわしい官能美である。だが著者は予想を裏切り、「時代の飢餓」との関係を指摘する。ローマ時代のような豊かな時代になると小さな乳房が、ゲルマン民族の侵攻が始まると豊かな乳房がよいという価値観の変化が起きる。そして12世紀ごろに乳母という制度ができると「豊かな乳房=里子に出せない貧乏階級」「小さな乳房=里子に出せる豊かな階級」という図式ができあがるとともに、マリア崇拝の影響もあって「小さな乳」へ再び回帰する。しかしその後、ルネサンスの拡大とペストの流行で「飢餓感」が増大し、表紙にも掲載されているジャン・フーケの「聖母子」のようなマリア像に巨乳をくっつけたかなり不可思議な絵画が登場。さらにルソーの「自然に帰れ」ということで母乳が大事なのでドラクロアの絵画では自由の女神は「巨乳」という事態となる。著者はそして「巨乳ブーム」を人口激減の予兆として分析していくのだが、読者は読者で「いやいや時代の飢餓感が…」「日本には聖マリア像のような影響はないので純粋にフェチとしての巨乳…」といったさまざまな解釈ができる余地が残されている。そのほか赤坂離宮が迎賓館に転用された理由と宮廷風恋愛とカソリック神学。宦官制度、フレンチキスと「財産と財産の結合」、ドロワースと都市伝説、変化するオスといった興味深いテーマで第1部は終了する。
 第2部には入ると下半身ネタからやや「上部構造的」なテーマに移動。映画「シェーン」の分析、スープの飲み方、豚の扱い、オランダの国民性とやや高尚なテーマへ。ただ日本の江戸幕府が英国ではなくオランダを交易国として選んだ本当の理由がわかるような説明がなされている。
 そして第3部だがこれがまた第1部以上に面白い。ページ数としてももっとも多い3部だがタイトルとは裏腹に著者の真意はこの3部にあったのではないかと想うほど。フリースの起源、ハンバーガーとホットドッグ、植民地主義とマラリア、フランスの極右の存在とアルザス地方とブラスリーの関係など歴史とは解釈の学問で文化はその解釈の多元性こそが頭のよさを示す…と深く納得。こういう博学かつ仮説の立案に優れた教授に授業をしてもられる大学生は本当に幸せだと想う。

この金融政策が日本経済を救う(光文社)

著者:高橋洋一 出版社:光文社 発行年:2008年 評価:☆☆☆☆
 日本の経済不況はサブプライムローンの影響ではなく日本銀行による金融引き締めだとする議論から展開。景気動向指数が2006年から2007年にかけて景気の悪化を示す動きになっており、それが一つの根拠になっている。急速な日本経済の減退は生活の中でも実感するがサブプライムの影響にしてはあまりに唐突過ぎる。マネーサプライが減少したのが一つの要因であるという可能性は確かにあるだろう。著者は2008年10月8日の世界協調利下げにも日本が参加しなかったことを批判しているが、ちょっとこれは日本銀行には酷な話かもしれない。なにせ0・15%しか公定歩合(政策金利、無担保コール翌日物、オーバーナイト)は上がっていないのだからその後の金融政策のある程度の裁量枠は必要だったと想うわけで。その後もマネーサプライを増加するべく、国債そのほかの金融商品をかなり日本銀行は買い上げているので金融政策としてはかなり緩和政策がとられているといえるだろう。この量的緩和が予想インフレを押し上げて(そのもととなるのは通貨発行益:シニョレッジ)実質金利を下げて投資の拡大効果をめざす。円高に対しては著者はかなり激烈に批判しているが個人的には輸入拡大になるのでそこまで激烈に批判しなくてもいいのでは…とも想うが…。
(オズの魔法使い)
映画「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」では主人公は原油の前に金を採掘している。当時のアメリカは金本位制だったし、経済の拡大とともに金の供給は不可欠だったから、物語自体は原油の話だがそこにいたるまでにはやはり金が一番の鉱物資源だったのだろう。その後金はアラスカでも海外からも持ち込まれるので主人公の金から原油への切り替えにはやはり一種の才能があったわけだ。金銀複本位制を導入してマイルドなインフレーションをめざす民主党と金本位制を維持しようとする大統領選挙が1896年。その後アメリカは金の供給量の増加で自然なインフレーションを達成。このプロセスが「オズの魔法使い」の背後に隠れているというエピソードが著者によって紹介される。しかし著者がバーナンキによる金本位制を維持することで、金融政策の独立性が確保できず世界大恐慌になっていったとする説を紹介。さらに大恐慌脱出のきっかけとなったのはニューディール政策とされているが、ルーズベルト大統領がその前に金輸出禁止・外国為替取引の禁止で事実上金本位制度から離脱していたことを紹介している。ここで著者がいわんとしていることは非常事態には伝統的な金融政策にしばられず多少非常識でもマネーサプライを増加させるべきという主張だ。著書のタイトルの「この金融政策」とはまさしく71ページの「非伝統的金融政策」のことをさしているのだろう。ただここでタイトルの結論にあたる部分の説明がでてしまったのでこの新書ではその後の第3章で「物価」、第4章で「インフレ目標」、第5章で「株価」、第6章で「為替」について著述することとなるがこれは構成上の問題か。第4章から第6章までは一種の「各論」と考え、第3章が特に重要な結論が述べられている新書といえる。
 巻末の外貨準備を使ったデッド・エクイティ・スワップについて非常に興味深く読んだ。負債を資本にする…逆に出資側からすると債権を元手に出資するという取引になるが、その元手に外貨準備(外国為替特別会計)を使うというアイデアだ。結局日本はそれをしなかったわけだが、確かにこうした議論が政府内で行われていた時期があるというのがさすがだ。ややきつい調子が強すぎる面があるほか、第4章以降はやや専門用語が頻出してきて難しい。それでも第1章から第3章までは高校生でもわかるように簡潔な著述になっているのでやさしめの「金融緩和」重視の経済入門書といったところだろうか。
 
 

会社にお金が残らない本当の理由(フォレスト出版)

著者:岡本史郎 出版社:フォレスト出版 発行年:2004年 評価:☆☆☆
 隠れたロング&ベストセラーというべきか。資金繰りをいかによくするか。目に見えないキャッシュ・アウトがどこに存在するのかを明らかにしてくれる本。
「どんなに優秀な経営者でも会社をつぶす人はつぶします」(2ページ)というどっきりしたフレーズからこの本は始まる。役員賞与の考え方をどうするべきか。また世の中のシステム(からくり)をいかに見抜いて利用していくべきかと教えてくれる。投資収益率の話はマクロ経済学入門でも教えてくれる話だが、実際のビジネスになると逆に「定期預金にしておいたほうが儲かるのではないか」という投資収益率しかあげていないケースもある。それは利息感覚(この本では利回りと表現)が欠如しているからだと著者はいう。
①借入金の感覚
 マクロ経済学では借入利子よりも投資収益率が大きい場合にのみ投資を行うとされるが、この本ではマイホームを例にして、1960年代の借入金で家を建てるという発想のおかしさを指摘。資産の条件は流動性と保存性の2つと著者は考えているので流動性にかける固定資産は財産とは考えていないのだ。自社ビルにこだわる必要性がないとかいろいろこの例示から教訓はつかみだせる。
②自分の価値観で考える
 ブランド品だと非常に高価だが無印良品だと同じ品質で安く買えるケースもある。自分のライフスタイルだとそういうことになるが、企業戦略でもそれは同じ。大企業との名目的なビジネスよりも中小企業との契約のほうが大事なケースもありうる。
③そこそこビジネス
 リピーターをこまめに集めて地道に商売することの大事さ。お客の数は増やさなければならないが、もっと重要なのは一度購入した顧客が再び購入してくれること。
④戦略のない節約
 固定費の節約でなければ意味がない(電話代とか電気代とか変動費の節約は効果がない)。
⑤税金をとるために耐用年数が長くなっている
 木造建築のレストランの耐用年数が20年間とか実態の異なる税法規定を指摘。なるべく早く経費として計上したほうが実務的には有利と指摘。決算書は読めても繰延資産や電話加入権や保証金などはほとんど経営に意味がない資産だとがつんと指摘。上場企業はともかく確かに中小企業の無形固定資産にはほとんど意味はないだろう。また低価格戦略を中小企業が採用するリスクなども指摘。ローリスク・ハイリターンでしか中小企業の経営は成立しないというあたり、そしてそれを可能にするのが「勉強」なのだという指摘になるほどと想う。
⑤1:3:5の法則
 これは別に客観的な比率ではないのだけれど著者の経験則による一種の「壁」あるいは心理学でいう「高原効果」にあたる部分の説明といえるだろう。貯金でいえば、100万円で壁、300万で壁、500万で壁…という具合。消費もそうだがそれ以外の売上高でもそうかもしれない。

 経験科学にもとづいた「1:3:5」の壁とか、不動産(住居費)は収入の10パーセントに抑えるという安田財閥の考え方の紹介などが非常に有用。住居費は確かにストイックさが要求されるが、ある程度再生産資本を準備するためには今を禁欲的にして、所得の中では支出は10パーセント以内に抑える努力が必要になるのだろう。これを実際の生活にあてはめてみると、1ヶ月の不動産賃料が70,000円の家を借りれるのは一月の給料が700,000円を越える人だけ。つまり年収840万円の人で家賃70,000円が相場ということ。不動産賃料については自分自身でもいろいろ考えるものがあるが、一月20万円や30万円の家を借りている人は、年収8,000万ぐらいの人でなければ意味がない賃貸物件だ。生活の快適さを今求めるよりも将来の再投資を重視するべきという著者の姿勢に同感。さてこの本には図解化された別冊シリーズもあるが、資金繰りについて実生活に照らして考えてみるのにはいい本だろう。また結婚は女性にとって最大のリスクだから不動産名義などはすべて奥さんの名義にしているという著者の経営哲学に感服。一部「なにもそこまで…」と想うこともないではなかったが、それだけ「お金」についてはシビアでストイックでないと経営者としてはやっていけないということなのだろう。

2009年3月28日土曜日

ジェネラルパーパス・テクノロジー(アスキー新書)

著者;野口悠紀夫・遠藤諭 出版社:アスキー・メディアワークス 発行年:2008年 評価:☆☆☆☆
 情報技術だけが発展してもそれを活用できる社会的土壌がなければ意味がない…。本書の要約をするとそうなるだろうか。ICTは新しい産業技術だが日本ではその産業技術の恩恵をいまひとつ受けていないのではないか、という問題提起が冒頭でなされる。確かにウェブの発達は情報コストを著しく低下させたが、雑誌や新聞といった既存のメディアの収益を押し下げる一方で、ICTによって爆発的に利益を上げた…という業種・産業は少ない。もちろんセブンイレブンに代表されるようなPOSシステムやEDIといったコスト削減に有用なICTもあるが、本書で例にあげられているようなアイルランドのようなオンライン・アウトソーシングによる新産業の勃興(その結果アイルランドの一人あたりGDPは日本の2倍近くになっている)やインド(インドでもアメリカのコールセンター業務などが移管されている)といったような目覚しいレベルでの経済産業の勃興はない。こうした「21世紀型グローバリゼーション」(26ページ)の結果、日本やドイツといったこれまでの20世紀型産業国家は次第に凋落しつつあるという状況がある。ICTを企業の収益向上のために活用するには経営者がまずICTの意味と重要性を理解し、なんでもかんでも外注するのをやめよ、と筆者は説く。ICTがはたして経済に影響を与えるか否かについては種々の議論が行われたが、この本ではICTは「一般技術」「汎用技術」なので、その経済効果が統計で把握されるのには時間がかかると説明する。少なくとも取引コスト(通信コスト)を削減するのは間違いのない産業技術だけに、まるっきりコストが低減もせず収益も拡大しないというわけはないのだが、それが明確な形で数値で計測するのには時間がかかるというわけだ。このときすべての関連財がすべて一気に価格が下がるというわけでもない。従来の既存産業との摩擦も起こりうる(メールの発達は郵政事業にも大きな影響を与えたはずだ。郵政民営化について隠れて後押しした理由の一つは、いずれ郵便事業会社については電子メールに相当職域が奪われるので現在のうちに雇用調整をしていく必要性があったのは明らかで、さらには宅配便の急速なサービスのレベルアップは手紙だけでなく荷物の運搬を国家公務員が行う必要性を奪いつつあるという状況があったものと推定される)。
 第2章ではこれまでのクローズドシステム、メインフレームの時代から現在にいたるまでのシステムの違いについて説明がなされている。携帯電話そのほかに想像以上にオープンソフトが使用されていることが指摘されるとともに、ITUなどによる通信規約の制定ではなく現在ではICANN、W3Cといった民間企業が中心となって全体の仕組みを運営し、管理していることを指摘。企業間取引におけるXMLの重要性、財務諸表のためのXBRLなども指摘。経済効果や環境効果への影響にも言及されている。
 第3章では、第2章をうけてレガシー・システムについて著述されている。最近では社会保険庁のCOBOLシステムが問題になったが、事務処理能力としてはCOBOLは最適だが分散処理形態で事務処理をするのであればもっと別のシステムに切り替えても良かっただろう。そうすればもう少し「名寄せ」そのほかの事務処理も軽減化された可能性はある。こうしたレガシーシステムから問題提起をして、ICTについての産業界での本質的な理解が不足していることが指摘されている。
 第4章では、日本の電子政府のお粗末さを指摘。これは自分自身が各種白書のデータを利用したときや確定申告をしようとしたときに思ったことだが、結局アナログで情報探索したほうが速いのではないかと思うこともしばしば。省庁のウェブのトップはきわめて使いにくく、サイト内マップの造り方にも問題がある。情報量はきわめて多いが使い勝手は確かに悪い。この本ではアメリカのブラウン大学による電子政府の格付けが紹介されているのだが(156ページ)、1位は韓国、シンガポール、台湾、アメリカ、英国、カナダ…ときて、20位に香港、37位がエチオピアで38位ガボン、39位北朝鮮、そして北朝鮮のさらに低いランキングで日本が40位。コンテンツはまさか北朝鮮よりは日本のほうが豊富だろうからやはり「使い勝手」が相当に悪いというのがブラウン大学の研究者にはあまり心証が良くなかったのだろう。
 第5章では「オークショネア」という経済学の概念を利用して、分散システムや小規模組織のメリットを説明。さらに垂直分業よりも水平分業の促進も説明される。日本ではまだ垂直分業にこだわる傾向がみられるが、実際にICTを活用すればEDIなどによる通信コストの減少により垂直的に一社が統合するよりも水平的に個々の企業が個々の製品に特化していくほうが経済効果は増す。
 そして第6章ではgoogleに代表される「未来への選択」が語られる。googleの強みはサーバとそしてユーザ中心主義の成果だと指摘(197ページ)。ここで最近注目されているsaasについて、パッケージで提供されていたアプリケーションをウェブで提供するものと説明し、「セールスフォース」の顧客情報管理システムを紹介。パッケージソフトでは3年に1回のバージョンアップがsaasでは、3ヶ月に1回という速さになるという。さらにラフ・コンセンサスとランニングコード(とりあえず役にたっていれば)の2つの基準が紹介される。質よりも「量」(規模)が凌駕するリスクを指摘して本書は終了するわけだが次世代ネットワークが国内単独基準になる可能性そのほかなども指摘され、きわめて興味深い内容。用語には丁寧に注記がなされているので読みやすい。また巻末の索引も利用しやすいのが新書としては珍しい。読んで損はない新書。

ITパスポート試験予想問題集2009春(日本経済新聞出版社)

著者:次世代人材研究機構 出版社:日本経済新聞出版社 発行年:2009年
 一応、シラバスは公表されているが本試験がまだ一度も実施されていない国家試験予想問題集。各社いろいろ工夫をこらしているが、解説としては今の段階ではこの本が一番読みやすい。問題の下にシラバスの要約がついているのも親切だと思う。シラバスのどの論点を学習しているのかが把握できないと、プールの水をコップですくいとるような感じにもなるので、ストラテジ系のどこ、マネジメント系のどこ…というような自分の学習ポジションを把握できるような造りに「しようとした」のは評価できる。ただしコラムの関連用語は本文と脈絡のないケースも見られ、もう少し改善の余地があるだろう。実際に本試験問題が公表されるともう少し各社の問題集も造りが変わってくるとは思うが、現段階ではまだこの程度と思うしかないか。QRコードがついているので、携帯電話と連動して、試験情報・学習問題・用語集・掲示板などの利用が可能。ただし面倒で携帯電話で実際にアクセスはしていないが、電車の中で勉強する社会人にとっては最新情報を携帯電話で確認できるというのは、これからの可能性は秘めているかもしれない。用語でもわからない問題などは携帯電話のメモに打ち込んで、自分のパソコンに送信してもいいわけだし、こうした携帯電話とパソコンの連携などはさらに活用・工夫してみる余地はある。ただメールチェックしたり、添付ファイルを開いたり…というのはけっこう勤務時間終了後は疲れる作業ではあるのだが…。一定程度本試験の回数が積み重ねられないと、何がいいのか悪いのか…といった定評もなかなか流布しないし、読者としてもやはりなんともいいようはないが、「チャレンジング」な造り方はいいと思う。

2009年3月26日木曜日

IFRS~国際会計基準で企業経営はこう変わる~(東洋経済新報社)

著者:高浦英夫 出版社:東洋経済新報社 発行年:2009年 
評価:☆☆☆☆☆
 会計の世界ではまだまだずっとビッグバンが続くのだが、その節目となるのが2011年もしくは2012年とされている。これまで世界の会計基準には国際財務報告基準、アメリカ財務報告基準そして日本の会計基準の3つしかなかった(正確には上場企業では…という制約をつけるべきかもしれないが)。カナダも途中までは頑張っていたが、国際会計基準へ。そしてアメリカも国際会計基準を事実上採用することに決定し、現在アメリカ財務報告基準と国際財務報告基準の基礎概念(概念フレームワーク)のすり合わせが行われている。日本の場合、その両者からちょっと距離が置かれているとともに、しかし国際財務報告基準で財務諸表を作成してもよいというアドプションや会計基準の改正によるコンバージェンスが現在行われている。はたしてこのまま日本の独自性を貫きつつ、国際会計基準にも目配せするのが、あるいはもう全面的に国際財務報告基準を導入してしまうべきか…。そうしたちょっとした混乱の時期に、これまでの経緯とこれからの国際財務報告基準とのすりあわせや具体的な会計基準について解説、まとめてくれている本が出た。グローバル経営ではIFRSを積極的に活用するべきといった大きなテーマから出荷基準といった細かなテーマまでちょうどいい分量で解説が収まっている本。価格も1,600円と手ごろな価格だし、しかも2009年のこの時期にしかおそらく情報収集としては役にたたない本であるので今、買って読むのが一番だといえるだろう(2010年にはおそらく状況はまた変化している)。テーマが横に広がっている分だけ縦の深さに物足りない場合にはまたこれから別の専門書籍が次々と改訂されて4月ごろでてくるはず。入門書としてもお勧めだ。

2009年3月23日月曜日

特上カバチ!!第11巻(講談社)

原作:田島隆 漫画:東風孝広 出版社:講談社 発行年:2008年 評価:☆☆☆
 「親の親権」をめぐる題材。未成年には通常両親が親権を行使するが、その親権を行使する父親が「とんでもない悪人」だとしたらどうするのか。依頼人はやはり弁護士に依頼するには収入が足らない普通の街の家族で。こうした事例で弁護士がでてくるケースは現実としても稀だろう。実際、この行政書士はどうやって利益をあげているのか、あげる目算があるのかは不明だが、「法律屋」のプライドにかけて、闇金融事務所そのほかにもどこどこおしかけていく。こんなマルチで頼りになる行政書士事務所があれば、かなりはやることは間違いないが、闇金融相手でしかも家族間のドロドロまで足を踏み入れての活動は楽じゃなさそうだ。いわゆるDVと法律の矛盾、高利貸付金の裏側などを徹底的に暴いていく。携帯電話の録音機能なども意外な場所で使用されていて、万が一のケースには日常生活でも応用がきく小技も紹介されている。借金はもちろんしないのがベストだし、連帯保証人などももちろんならないのがベスト。ただ未成年の父親が「ダメ男」で偽造した借用証書もしくは親権を利用した借用証書を作成した場合の防衛はどうすればいいのか。なさそうで、実はけっこうありそうなケースである。

2009年3月22日日曜日

いい加減にしろよ(笑)(文藝春秋)

著者:日垣隆 出版社:文藝春秋 発行年:2008年 評価:☆☆☆
 全部で13人の著名人の「鑑定」をしているのだが、トップはいきなりあの有名な占い師のH氏だ。超売れっ子で京都と神楽坂の両方に御自宅を持つほか、事務所も神楽坂に構えている。紫の衣装を着て歩いているところをすれ違ったが、確かに有名人という以外のものを感じるパワフルさだった。「普通のおばさん」でありながらどうしてこれだけの有名人になっていったのか。そして占いということ自体、本人があまり信じていないのではないか…といった分析を著者は進めていく。32歳で億単位の借金を抱えた彼女は債権者と立ち向かい、原因を直視することで再起を果たす。そこにはオカルトも占いもなにもなく、危機管理をしっかり行うとともに怜悧な近代科学に支えられたビジネスを展開する。「ダメなときは別の道をゆけ」「失敗を他人のせいにするな」「運命にしばられることはない」…。この著名な占い師で始まる「鑑定」はその後、美術界の超大物H氏、裁判官の文章、警察の鑑定、総選挙をめぐるウソ(小泉前内閣の状況分析)、NPO法人、「心身喪失者」、「少年法」…といったどちらかというとウェブでもあまり真正面から取り上げたり、私見を述べるのには相当慎重にならざるをえないテーマに果敢に実名入りで取り組んでいく。ただこの著者は「批判」ではなく、明らかに「改善」を主張しているところが注目すべき点で、悪口だけでなく、個別の具体的な論点をはっきり主張し、全体的なぼやっとした「罵詈罵言だけ」の評論や批判とは明らかに一線を画している。多作とはいえない評論家だが「エコノミスト」の巻頭に毎週書かれていたコラムは鋭く、かつ「希望」にもあふれた名コラムだった。この本もまた熱烈なファンにはバッシングを受けるかもしれないが、これまで無関心、あるいは少年法や心神喪失者をめぐる議論についてもちょっと距離を置いていた人間にも問題点が明確にわかるように配慮されている。改善の方向についても著者が著述している点とそうでない論点があるが、問題点が指摘されてから後の選択はそれこそ読者がそれぞれ考えていくべきことだろう。「思考停止」をやめ、自分自身であらためて原因をみつめなおす一つのきっかけになりうる評論本。

裁判長!これで執行猶予は甘くないすか(文藝春秋)

著者;北尾トロ 出版社:文藝春秋 発行年:2009年
 前作に続く地裁傍聴記録。判決そのものよりもプロセスや被告人や検察官、弁護士、裁判官などのキャラクターの描写が深みをます。だれもが知っている有名な殺人事件の傍聴記録もある。検察官の冷静な事件の検証とうらはらに「理解に苦しむ事件」も多数。「内向的で一直線な女性」がおもいつめて男性のつきあっていた女性をカナヅチでボッコボコ。東京駅で万引きが発覚し、追いかけてきた被害者を殺害した男性の傍聴記録(被告人は無期懲役が確定)。「電波系」の殺人事件や元婦警の幼児放置殺害事件、歴史的性犯罪集団スーパーフリーの身勝手な論理(懲役3年)、40歳女性の売春事件(懲役4ヶ月保護観察付の執行猶予2年)などそれぞれの事件に被害者と加害者以外の証人も加わって、ちょっとした人間模様。再犯の可能性や「芝居」の可能性なども著者はコメントし、やや辛口ではあるが、人間ドラマというのはおそらくこうしたシビアな展開と「いい加減」な人間関係とのからみあいなのだろう。どの事件も非常に興味深いのだが、これが裁判員として実際に立ち会った場合には、判断は難しい。刑罰の相場というものは当然あるのだろうが、事実認定以外の証人の発言をどう解釈するか。有罪確定の被告人にたいして情状酌量をはかる弁護士の弁論をいかに見破るか。なんどか裁判の傍聴にいけば一定の判断はくだせるかもしれないが、この本での教訓は「男の涙も女の涙も裁判所では信用できない」。

2009年3月17日火曜日

リアルワールド(集英社)

著者:桐野夏生 出版社:集英社 発行年:2006年
 桐野夏生の小説を読む前はなんとなく息苦しい。おそらく「OUT」や「ダーク」といった過去に読んだ小説からして、出だしはともかくラストが近づくにつれて重苦しく登場人物は苦しむ、そして救いはおそらくない…という現実世界そのものを突きつけられるからだ。「グロテスク」の後半はいまひとつ感情移入できなかったが、前半部分の10代少女のそれこそグロテスクな競争心(というかプライド)の描写はなぜか心にしみわたる。そしてこの「リアルワールド」は母親を殺害した少年と4人の少女の物語。う~む。第2章が10代の少年の心理描写なんだが、こんなものかなあ…。もう少し10代の少年の心理って不安定で壊れやすいものだと思うのだが、このストーリーではけっこう基盤がしっかりしているのが意外。少女4人もそれぞれ個性はあるのだけれどそれぞれの基盤がしっかりしているのが不思議。10代ってもう少し脆弱で現実世界の前で立ちすくむようなイメージあるんだけれど。「傷つく」っていうその「傷」の意味はもしかすると平成の時代に入ってから意味合いがかなり違ってきたのかもしれない。そしてそれはおそらく携帯電話などの通信手段の発達がかなり関係しているような気がする。この小説も携帯電話なしには成立しない物語なのだが、手紙と固定電話ではちょっと話は展開しにくいだろう。後味はあまり良くないのだが、そしてほんの少しの救済はあるのだが、「基盤」がしっかりていて自分とは異なる「傷」を抱え込む登場人物に違和感を覚えたのが本音。リアルワールドはもう少し不安定でボヤっとしたもので、そしてそうした「雰囲気」をリアルに描写しようとすると小説としては成立しなくなるのかもしれない。