2009年3月30日月曜日

乳房とサルトル(光文社)

著者:鹿島茂 出版社:光文社 発行年:2007年 評価:☆☆☆☆☆
 「巨乳」と「小乳」と聖母マリア像の絵画を比較して分析しはじめるこの書籍。歴史と現代のあらゆる雑学と考察が詰まった優れたエッセイで、「ああでもない」「こうでもない」と妄想しつづけることの快楽をトコトン追及してくれる。物理や数学ではないので「絶対的な正解」というのはないが、「もしかするとそうした仮説も当然成立しうる」と読者が納得できるだけの理由づけも豊富に掲載されている。ちなみに「小乳」という言葉が正式なのかどうか実は確証がないのでgoogleで検索してみると、「微乳」(817,000件)、「小乳」(427,000件)、「貧乳」(228,000件)、「貧乳」(2,620件)という順序になった。巨乳という「用語」がわりと一般的なのに比較すると「小乳」のほうがバリエーションが多彩。言語表現が多彩なほうがおそらく文化的には芳醇なので、「小乳」のほうが文化的には優れているはずだ。聖マリア像ではないがルーカス・クラナッハの描いたヴィーナス像などは「小乳」というのにふさわしい官能美である。だが著者は予想を裏切り、「時代の飢餓」との関係を指摘する。ローマ時代のような豊かな時代になると小さな乳房が、ゲルマン民族の侵攻が始まると豊かな乳房がよいという価値観の変化が起きる。そして12世紀ごろに乳母という制度ができると「豊かな乳房=里子に出せない貧乏階級」「小さな乳房=里子に出せる豊かな階級」という図式ができあがるとともに、マリア崇拝の影響もあって「小さな乳」へ再び回帰する。しかしその後、ルネサンスの拡大とペストの流行で「飢餓感」が増大し、表紙にも掲載されているジャン・フーケの「聖母子」のようなマリア像に巨乳をくっつけたかなり不可思議な絵画が登場。さらにルソーの「自然に帰れ」ということで母乳が大事なのでドラクロアの絵画では自由の女神は「巨乳」という事態となる。著者はそして「巨乳ブーム」を人口激減の予兆として分析していくのだが、読者は読者で「いやいや時代の飢餓感が…」「日本には聖マリア像のような影響はないので純粋にフェチとしての巨乳…」といったさまざまな解釈ができる余地が残されている。そのほか赤坂離宮が迎賓館に転用された理由と宮廷風恋愛とカソリック神学。宦官制度、フレンチキスと「財産と財産の結合」、ドロワースと都市伝説、変化するオスといった興味深いテーマで第1部は終了する。
 第2部には入ると下半身ネタからやや「上部構造的」なテーマに移動。映画「シェーン」の分析、スープの飲み方、豚の扱い、オランダの国民性とやや高尚なテーマへ。ただ日本の江戸幕府が英国ではなくオランダを交易国として選んだ本当の理由がわかるような説明がなされている。
 そして第3部だがこれがまた第1部以上に面白い。ページ数としてももっとも多い3部だがタイトルとは裏腹に著者の真意はこの3部にあったのではないかと想うほど。フリースの起源、ハンバーガーとホットドッグ、植民地主義とマラリア、フランスの極右の存在とアルザス地方とブラスリーの関係など歴史とは解釈の学問で文化はその解釈の多元性こそが頭のよさを示す…と深く納得。こういう博学かつ仮説の立案に優れた教授に授業をしてもられる大学生は本当に幸せだと想う。

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