2012年1月4日水曜日

兎の眼(角川書店)

著者:灰谷健次郎 出版社:角川書店 発行年:1974年 本体価格:571円
 もともとは理論社から単行本として出版され、その後新潮社から文庫本として出版されていた。その後角川文庫に収録されたのは、とある事件とその報道をめぐって著者と新潮社の経営陣のある方とが対立し、版権引き上げにいたったためである。児童文学の大家とされていたが、この「兎の眼」は、児童文学というよりも「文学」として際立つものがある。一応、教育問題らしきテーマや労働問題らしきテーマも散見されるのであるが、主人公の22歳の「先生」は家庭内に問題を抱えているし、ラストは「希望」に一応満ち溢れてはいるけれど、確定した「未来像」というわけでもない。問題は山積みではあるのだけれど、それを一直線に切り開いてみせる手法が見事。一応「悪役」めいた存在もあるものの「絶対的な悪」という描写でもなく、21世紀の社会人が読んでもそのたびごとに鮮烈な関西の「街」のイメージを思い浮かべることができる。

失踪日記(イーストプレス)

著者:吾妻ひでお 出版社:イーストプレス 発行年:2005年 本体価格:1140円 評価:☆☆☆☆☆
 1989年から物語が始まる。著者は漫画の仕事を突然放り出し、いきなり「失踪生活」へ。山の中で自殺を図るがかなわず、野宿生活を始める。で、その野宿生活がけっこう細密に描写されているのだが、これがけっこうなサバイバル生活。読者からすると、こういう生活だったら元の漫画家生活に戻ればいいのではないか、とも思うが、こればかりは本人でないとわからない動機付けがあったのだろう。何度か失踪生活を繰り返すたび、あるときには配管工として社内報に漫画を掲載するまでにいたる。さらにその後はアルコール中毒にかかり病院に強制入院へ。絵がわりとホンワカしているのだが、シチュエーションの書き込みは細密。逆説的ではあるけれど、こういう本を読むとかえって生きるエネルギーみたいなものがわいてくるから不可思議。

狂った裁判官(幻冬舎)

著者:井上薫 出版社:幻冬舎 発行年:2007年 本体価格:720円
 タイトルはいささか過激だが、裁判官の「給与体系」や標準的な勤務時間、さらに人事査定の内情などがうかがえる興味深い内容となっている。著者は理学部卒業で裁判官に任官したというやや変わり者で、判決の「理由」欄に余計なコメントは必要なく、裁判員制度についても批判的なスタンスをとる。ある意味では合理主義ともいえるが、これについては別の見方もできそう。主文とそれ以外の理由については簡潔明瞭に書くというスタンスも当然ありうるが、それ以外に「いかにして主文にあるような結論にたどりついたか」という理由以外に情報提供機能というのもあってもよい。判例についてはもちろんほかの裁判官の1級資料ともなりうるが、それとて絶対的なものではないので、短く簡潔明瞭な判決文がそれだけでベストとも言い切れない気もする。また裁判員制度についても、いろいろな考え方はあろうが、ひとつの社会制度の実験としては比較的うまく機能しているのではないかと個人的には考えている。ともあれ、判決よりも和解を好む理由や、審理期日をなんども重ねる理由もなんとなく理解できる内容となっている。司法制度に批判的な側面はまた読者それぞれの考え方にもよろうが、漫画「家裁の人」とは別個に裁判所の裁判官の標準モデルを描写するには悪くない本だ。

2012年1月3日火曜日

日本人ごっこ(文藝春秋)

著者:吉岡忍 出版社:文藝春秋 発行年:1989年 本体価格:420円
 1980年代のタイ。当時14歳のタイの少女が「自称日本人」として大学などに出入りし、大学生などから面倒をみてもらっているのが発覚。ただし被害とよばれるほどの被害はなく、少女は警察からも解放された。著者はとあるきっかけでその事件(?)を知り、行方不明の少女をタイで追う。「これがベトナムの少女」や「アメリカの少女」ではなく、なぜ「日本の」少女を詐称したのか?そしてその理由は跡をおう過程でじょじょにうきぼりになってくる。このルポが書かれてからすでに15年以上がすぎており、昨年の洪水によってタイの日本工場が稼働できないため、日本製品の製造にも大きな支障が生じるまでにもなった。また敬虔な仏教徒が多いタイであっても、都会の家族では老人介護もおざなりになっているという報道も一部ある。ルポの文庫本であるため地図などは付属していないが、著者独特の「象のような」国のかたちを想像しながら、この本を読むと、どういうルートで著者が取材を続けていったのかが頭の中に描けるようになっている。イキイキとした文章表現とルポの構成にひかれて、ちょっとページを読み始めると最後まで読みきってしまう。そして当時と現在とを比較しても、あまり根底の部分では大きな差異は生じていないとも実感する。

2012年1月1日日曜日

絵はがきにされた少年(集英社)

著者:藤原章生 出版社:集英社 発行年:2005年 本体価格:1600円
 毎日新聞の記者によるアフリカの等身大のルポタージュ。肩に力が入りすぎたり、あるいは逆にイデオロギッシュに偏りすぎるアフリカルポは数あれど、その土地に実際に密着して「等身大」の取材をして、さらにそれをすんなりやわらかくまとめたルポはこれが初めてではないか。南アフリカ共和国、アンゴラ、ルワンダといった国を中心に、その土地で生活をすることはどういうことなのか。またアフリカーナとよばれる白人先住民の意識はオランダやポルトガルではなくアフリカ人になっているという意識を浮き彫りにしてくれる。表題の「絵はがきになった少年」とは、レソトの老人が少年のころクリケットをしている様子が写真にとられ、本人が気がつかないうちに絵はがきにされていたというエピソード。ジャーナリスティックな盛り上がりは何もないが、その「何もなさ」が逆にアフリカに対する日本人の「問題」「視点の画一化」を際立たせる。ステレオタイプのアフリカ問題ではなく、地に足のついたアフリカ問題を考えるのは、この日本からでは難しい。ただし不自然にテーマ性がうちだされた記事よりも、淡々と著述されるこの本のようなルポのほうが、おそらく現実味のある問題意識を持つことができるだろう。一応アパルトヘイトやそれにまつわる銃撃事件、さらには差別問題なども扱われている。扱われているが、生活を一緒にしていくうえで何が不都合なのだろう…という著者のボトムアップの問題提起が好ましい。

老人と海(新潮社)

著者:ヘミングウェイ 出版社:新潮社 発行年:1976年 本体価格:400円
 硬くなるまでゆでた「ゆで卵」のように、登場人物の心情やら感情やらは描写されずただただひたすらに行動のみが描写されている小説。それがハードボイルドだが、この「老人と海」もやたらに老人の心中が描写されるよりも、端的に朝起きてから4日後に眠るまでの行動がハードボイルドに描かれるからこそ名作たりえたのだろう。学生時代に「文学入門」(岩波新書)の巻末に掲載されている世界名作50作品をひたすら読み込もうとしている時期があった。当時はヘミングウェイも一応読んでおこうか…という程度だったが、あれから月日が過ぎてもう一度手にとってみると、老人が一人海にでてカジキマグロと格闘することにエネルギーを費やす姿にあらためて感銘を受ける。ま、エネルギーを燃焼させてその姿を次世代に承継してもらうという一連の「出来事」そのものが、一つのドラマになりうる…というのは昔の自分では想像もできなかった。が、たとえば現代日本で考えれば意図せずリストラされて不遇にあるビジネスパーソンがなにかの拍子にムダ骨となってもビッグプロジェクトに取り組む…というのと構図的には似ていると思う。その取り組む姿がたとえばアナクロであってもきっと世界はその姿そのものを取り込んでいくであろう…てな気がする。空間的世界を重視するアメリカ文学では当時あったのかもしれないが、その小説は時空をこえて日本で読み継がれた場合には、時間軸の中にさらに取り込まれていくということもある。こうしてみると文学でいう名作とは、時空間をこえて読み直され感情軸の中の歴史に何度も何度も刻みなおされていく作品なのだな、と感じる。

人事部は見ている。(日本経済新聞社)

著者:楠木新 出版社:日本経済新聞社 発行年:2011年 本体価格:850円
 今も昔も隠然たる力があるようにみられている人事部もしくは労務部などであるが、実際の人材育成や管理はそれぞれの事業体にあることが多く、人事評価も必ずしも公正妥当なものではないことがわかる。よく会社のOBやOGなどにあっても意外に会わないのが人事部や総務部にいた…というような人で定年退職後の身の振り方っていまひとつわからない。どこぞの子会社などへ出向してそのまま定年退職という道筋かもしれないが、あまり人事部などは気にせず自分なりのモチベーション管理をしっかりやっておくことが大事なのでは…というような結論が導き出される。一つ興味深いのは直属の上司がどれだけあれこれいっても第三者の部署にはある程度真実がみとおせるということ。人事部は見ているのだがかならずしも直属の上司の言い分ばかりを鵜呑みにしているわけでもなさそう。