2017年12月9日土曜日

「Red」

著者:島本理生 出版社:中央公論新社 発行年:2017年(文庫本) 本体価格:780円(文庫本)
 夫の両親と同居する「村主塔子」(31歳)。2歳の子供を抱えた専業主婦で,旦那(村主真)は,有名企業勤務。第三者からみれば問題は何もない。義理の両親との同居を除けば,そこそこ幸せな家庭のはずだった。しかし,友人の結婚式で10年前に交際していた「鞍田」と再会してから,既定の路線からはずれた人生に目覚め始める…。
 日活の「団地妻」的ストーリーとイプセンの「人形の家」を現代風にあらためてなぞりつつ,21世紀の日本に救う「家」と「世間」のしがらみを浮かび上がらせる。20代前半から10年後という設定で,ちょうど世間のしがらみが厳しくなる世代でもある(主人公の年齢が40代であれば,おそらく文芸小説にはならない。なぜなら子供にかける手間もそれほどないうえ,恋にこがれていったこともない。純粋に倦怠期をむかえた夫婦の話にしかならないからだ)。同時に30代前半であれば,またさまざまな選択肢が残されている。ちょうど「塔子」はその選択肢のなかからどれを選ぶべきか…といったポジションに置かれる。この小説にはキリスト教的な意味合いでの神罰やら仏罰は存在していない。「塔子」も不倫相手の「鞍田」も,そして旦那の「真」も,初期条件を与えられた後は自律した「原子」のように動き回る。文庫本239ページの鞍田のセリフが印象的だ。
「俺は外的な罰は当たらないと思ってる。そこに因果関係はない」
「もし罰があたるようなことがあれば,それは見えないものじゃなくて,君(塔子)が,君自身に当てるだけだよ」
 当然のことながら宗教的な制約を受けず,物語のなかに設定されている「制約条件」を浮き彫りにしていくと,21世紀の日本の「世間」とそして「経済的な制約条件」の2つが重要なカギをしめてくる仕掛けになっている。恋愛小説なのに会社勤めの話や正社員と契約社員の働きぶりや評価の違いなどが続出するのは,21世紀の日本の「世間」の多くは「会社」で,経済的な制約条件が主人公を含めた登場人物の行動に大きな影響を与えるためだ。過激な性描写は,あまり主人公の生きざまには関係してこない(もっともそれがこの小説の売り,ということになっているようではあるけれど)。
 
 中世ではないので,家事も自分ででてきて,働くこともできる女性の多くが,家庭に不満をもてば,選ぶ選択肢は決定されてくる。さらに,世間のほとんどが「会社」であるならば,(一定の能力さえあれば)「世間」は変更可能だ。抑圧された女性がとった道は,それなりに険しいものであったことはさりげない描写で巻末に描かれているが,この本のメッセージを凝縮するとすれば,「思っているほど世間も経済的制約もたいしたことがなく,すべての個人は自立するべきだ」ということになろうか。なお,タイトルの「Red」は「塔子」と「鞍田」がとある場所であったときのとあることに由来している(文庫本272ページ)。人間の本性は世間の常識とは違うのだよ…という現実を微細に覗き込む著者の「感性」を感じるタイトルだ(このあたりが普通の恋愛小説とは異なる部分なのだろう)。
(追記)不倫小説ではあるものの,実は「ルパン3世 カリオストロの城」と同じ物語の構図をとっている。クラリスは男爵に物理的に「塔」のなかに幽閉されているが,ルパン3世によって解放され,最後,ルパン3世はクラリスの「心」だけを盗んでどこかしらへ去っていく。「村主塔子」は精神的に「家庭」に幽閉されているが,「鞍田」と再会することで新たな自分の人生を見出し,しかし「鞍田」とは結婚せずに暮らしていく(つまり心と思い出だけを共有している)。くしくも「村主」の名前には「塔」の文字も入っている。
 もしこの小説を純愛路線で描写したならば…おそらく「カリオストロの城」の現代版ということになり,しかも冒険活劇の要素はないわけだから,面白くもなんともない小説になっていたことだろう。過激な性描写はやはり必要不可欠な要素だったのだ。

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