著者名;共同通信社社会部 発行年(西暦);1999 出版社;共同通信社
「人間にも企業にも寿命がありますよ。でもこんな形で終わったんじゃ、天寿をまっとうしたことにはならないでしょうなあ‥」
日本長期信用銀行の元祖OBのこうした述懐でこの本は始まる。もともと日本長期信用銀行は1952年に池田勇人大蔵大臣の肝いりで1952年に設立された長期信用銀行。金融債を都市銀行に売却した資金で鉄鋼や石炭などの基幹産業に融資をするのが社会的使命だった。しかし証券市場が発達すればいずれは中小企業融資をしなければその社会的役割は終わる。1985年のプラザ合意以後、中小企業に特化した融資に切り替える長期経営計画を策定し、無茶な不動産融資を続けるイ・アイ・イグループへの無謀な資金貸し付けが始まる。担保にとるのは有価証券か不動産。不良債権を関連会社や飛ばしつづけて経営の悪化を粉飾し、そして破綻する。日本勧業銀行からの移籍組と地方銀行からの移籍組との勢力争いはドンとよばれる存在が銀行の中を硬直させていった流れがよくわかる。ある不動産物件などは、登記簿の厚さが10センチ。融資限度額を示す根抵当権が無茶苦茶に設定されちていたという。
日本債券信用銀行は1957年に設立。フィクサーとよばれる右翼の大物など政治家に利用され続けて1998年に幕をとじる。もともと日韓併合直後に設立された1911年、朝鮮銀行に由来を発する。満州にも支店をだし、最盛期には109の支店数を数えた。「皇軍いくところ朝銀あり」というようなこともいわれていたようだ。日債銀は設立から日本不動産銀行として大蔵省の肝いりで、都市銀行からの融資や大蔵省に納付金を補正予算に計上することで許可された銀行。最初から不幸な運命を背負った銀行だったが、不良債権隠しというモルヒネにやはり手を出していく。
1997年には平成の金融危機が発生し、三洋証券、北海道拓殖銀行、山一證券などが次々と倒れた時期。それ以後の金融再編成をも生み出したこの1997年、1998年の金融事件は歴史の1ページを飾る事件であり、当時の人間関係をも綿密に取材したこのルポは共同通信社の社会的・歴史的に評価されるべき名作ルポタージュである。
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