2011年11月29日火曜日

暴雪圏(新潮社)

著者:佐々木譲 出版社:新潮社 発行年:2011年 本体価格:710円
 グランドホテル形式で前半はそれぞれの登場人物がそれぞれの状況で「行き場」をなくしてさまよう様子が描写され、後半ではあるペンションに登場人物のほとんどが出揃う。そしてペンションの外は暴雪圏という趣向。会社の帰りに本屋で衝動買いして、読みながらファーストキッチン⇒サイゼリアとハシゴして数時間が読みきる面白さ。まあ、前半は屈折した人生が物語の趣向としても必要になるため、「やめてくれー」といいたくなるような屈辱感を読者も味わうことになるが、傑作長編「ユニット」と同様にラストの直前からすかっとした展開。主人公の駐在さんにはクリント・イーストウッドを彷彿とさせるものがある。筋立ても面白いが、ラストは本当に映画の一場面のような展開で、人気のいない北海道の町道で周囲は銀世界。捜査本部からの応援がこず、ミニ・パトカーを町道に斜めにとめて凶悪犯人が乗る四輪駆動車と真正面で向かい合うという構図。舞台は北海道で銀世界だが、底流はまるで西部劇の最後の果し合いのような場面。いいなあ。

2011年11月28日月曜日

ビジネスの極意はインドの露天商に学べ!(角川書店)

著者:ラム・チャラン 出版社:角川書店 発行年:2001年 本体価格:1200円
 タイトルはキワモノだが、この本そのものはMBAの基本テキストやサブテキストにもなっているようだ。GEをたてなおしたジャック・ウェルチと露天商に共通する在庫管理や販売予測といった概念をわかりやすく説明してくれる。個人的には「在庫管理」が資金繰りに非常に大事というところまではおおかたの人間はたどりつけるのだと思う。たくさん仕入れれば売上高は一定の規模も確保できるうえ、資金管理についても手形や小切手の支払期日の関係もあるので、すぐ意識にのぼることだろう。ただ、だれもがたどりつけるわけでもないのが商品回転率と資産利益率の「感覚」ではなかろうか。利幅が少ない商品については、それだけ商品回転率を多くしなければならないわけだが、100円ショップが一つの例示となる。非常に利幅が薄い商品を薄利多売で回転させているからダイソーなどは優良企業になる。表面的な利幅もしくは利益率だけみていると、2年も3年もかかってやっと資金を回収できるという計算にもなりかねないが、もちろん資金回収にそれだけ時間がかかれば商売としては成立しえない。資産利益率についても、どれだけの固定資産があってそれがどれだけ利益を生み出しているのか、までは理屈としては理解できても、感覚としてはなかなか体現できないものではなかろうか。著者は5つのインデックスを示すのだが、一番のキモは回転率と資産利益率にあるように思った。
 外部環境の変化を感じ取る能力などは一応言及はされているものの、ちょっとこれは一つの本につめこみすぎの印象も。MBAの指定テキスト…としては入門クラスレベルになるのだろうか。

2011年11月26日土曜日

砂糖の世界史(岩波書店)

著者:川北稔 出版社:岩波書店 発行年:1996年 本体価格:820円
 なんと岩波書店のジュナイブルで、この内容。高等学校の世界史の授業では夏休みの課題や副読本に指定している学校も多いというが、納得の内容で地図も豊富。さらに貴重な絵画や写真も掲載されており、「砂糖」という「世界商品」を題材にして、近代の世界史があぶりだしとなる。しかも教科書の世界史ではどうしても大事件中心の著述となるが、「砂糖」という題材を活用することで近代の人間(主にカリブ海、英国、フランスなど)の生活の様子もうかびあがる。さらに地域別の著述が、この本を読むことで関連性をもって理解することができるという効用。これがジュナイブルとして発刊され、さらに2011年で第28刷というのも当然のことかもしれない。一応「砂糖」の世界史ではあるものの毛織物、綿織物などの素材についても言及されており、教科書の説明事項の理解をさらに深めるのに有用だし、社会人にとっても身近な商品の歴史や商品のネットワーク性みたいなものを理解するのに有用だろう。一種の巨大な流通の歴史ともいえる。

2011年11月25日金曜日

夢違(角川書店)

著者:恩田 陸 出版社:角川書店 発行年:2011年 本体価格:1800円
 「霧」に巻き込まれたことがある。あれはもう○○年前、自転車で箱根山を越えようとしていたとき、夜中に気温が低下。そのまま眠っては危険だと思い、自転車を押して箱根山の山頂を超えようとした瞬間、1メートル先も見えないほどの霧に巻き込まれた。この本の中でも「霧」がでてくる。時間も空間もねじれてしまう不思議な空間が奈良県吉野を中心に展開していく。途中、「あれこれユングの集合的無意識的なお話だったらいやだな」と思ったが、幸いなことにそうはならず、しかもある意味ではハッピーエンドにたどり着く。とてもそうはなりそうもないオドロオドロした夢の世界に読者はいざなわれるが…。ストーリーは細かいところでは実は破綻している。ラストもたぶん、男性読者であれば「なるほど」と思い、女性読者は「男のナルシズム」と切り捨てる可能性も。ただベアトリーチェは最後は主人公の前に姿を現さなければ地獄絵図はおさまらない。説明がぜんぶきっちり片付くミステリーではないものの、その不首尾がかえってラストの効果を高めているような気がする。

2011年11月23日水曜日

新しい世界史へ(岩波書店)

著者:羽田 正 出版社:岩波書店 発行年:2011年 本体価格:760円
 歴史学が最近未来への希望を語る力を持たないという、やや自虐的な著述から始まり、「ヨーロッパ」というモデルにとらわれすぎた歴史観で世界史の検定教科書が著述されている現状では、地球全体を包括できるような世界史にはなりえないと説く。地球社会全体を俯瞰するような歴史像がうちたてられれば、確かに21世紀以降の地球市民の歴史はうちたてることができるが…。15ページで指摘されていることだが、今の日本の「歴史」はかなり学習指導要領の著述に左右されているのではないかという指摘が個人的には興味深かった。確かに世界史という科目は現在(2011年)では高等学校の必修科目であるとともに、それ以前の学習指導要領でも「現代社会」とともになにがしかの授業時間はあてられていた。中学校の「歴史」がほとんど日本史であるのと対照的だが、これは大学の教養学部で法律や経済の歴史を学ぶうえでフランス革命や封建制度がなんたるかもしらない大学生が一時期急増したせいもある。その後、50ページまで検定不合格となった「教科書」の内容も含めて学習指導要領が検討されるが、確かになにがしかの歴史にふれるさいに、学習指導要領の枠組みにそって世界史の事件を位置づけていることは多い。しかしさらに第2章(90ページ)までに解き明かされることだが、ヨーロッパ中心の歴史であると同時に、現在の世界史はあくまで日本人にとっての世界史であって、他国の人々とはやはり共有しえない歴史であることも説明され、第4章で著者がうちたてようとしている新しい世界史が紹介される。
 稀有壮大なモデルであると思うと同時に、これまでの世界史は確かに「地理的分析」「ヨーロッパ」「差異分析」に偏っていたのも事実だが、一種のモデルとして理解すれば、それはそれで不都合はなかったのではないかとも思う。地球はすべてアナログに一つの球体で連続しているが、それをいきなりボンと目の前に提出されても大方の人間は途方にくれる。便宜的にある地域に限定し、その後、「他の境界」についてさらにアナログに分析をつめていくという手法は、機械的にすぎるのかもしれないが、それはそれで学習の便宜は図られていたように思う。ただいつまでも、そうしたモデルに依拠するのではなく、さらに包括的なモデルをうちたてていこうという著者の意気込みが、この本に現われたのだと思う。
 

バスティーユの陥落(集英社)

著者:佐藤賢一 出版社:集英社 発行年:2011年 本体価格:495円
 フランス革命シリーズの第3弾。これから毎月文庫本が刊行ということらしいが、なかなかうまい出版計画。気がつくと文庫本の新刊コーナーでこのシリーズの最新刊を探している。3巻目にしてまだ1789年。全国三部会が憲法制定国民会議に衣替えし、人権宣言の発布に到る。フランス革命といえば「ベルサイユのばら」を思い出すが、その晴れの舞台となるバスティーユの陥落がこの文庫本でも最大の山場。ただし西洋史専攻の著者らしく歴史的史実をふまえて、バスティーユのなかにいた囚人はごくわづかで、しかも応戦していたのはスイス傭兵のみなど、冷めているようで熱い人民運動を描写。ルイ16世の一家がベルサイユからパリに移動する場面も非常に淡々と描かれているがそれがまたリアリティがあっていいんだなあ。これから憲法制定、さらにはロベスピエールの恐怖政治など、だんだんフランス革命の暗黒部分にこのシリーズは入っていくはずだが、文章と文章の合間にそうした暗い未来の予感がただよっていて、それがまた楽しい…。

2011年11月21日月曜日

原発賠償の行方(新潮社)

著者:井上薫 出版社:新潮社 発行年:2011年 本体価格:680円 評価:☆☆☆☆☆
 3月11日以降どうしても「理解できない」のが原子力発電による事故の損害賠償の枠組みだ。一応、事故前から「原子力損害賠償法」が制定されており、事故後の報道でもこの法律の適用の可否が論じられていた。不可抗力による天変地異以外の原子力の事故は無過失責任で事業者が負うと定めた法律で、今回の東日本大震災が「天変地異」かどうかで東京電力の損害賠償の有無がこの法律では決まってしまう。早い話、10年後か20年後にこの法律で損害賠償をもとめた被害者が、裁判所で「あの地震は天変地異ですから原子力損害賠償法の適用はありません」と言い渡される可能性すら残してしまう法律だ。
 無論この法律によらないで民法の一般原則で損害賠償する条文もある。ただしこの場合には、東京電力の「故意または過失」が立証されなければならない。司法判断で損害賠償を求めるのであれば、民法の規定による可能性が高いだろうと個人的には推測していた。そしておそらく「過失」を立証するのであれば、津波による電源喪失が過失に当たるか否かという点に焦点があたりそうだ。原子力損害賠償法や文部科学省に設置されている紛争審査会の和解などで満足がいかない被害者の方々の中には、おそらくこの民法の規定で裁判に持ち込むケースもあるだろうと思う。ただこれ、かなりの時間と資金を要するのは間違いない。著者は元裁判官で弁護士、さらには理学部出身というキャリアを活かして、今回の原子力発電所の事故と被害、そしてその後政府がおこなった臨時措置について法律的視点から検討を加える。超法規的措置があまりにも多く、今後行政の肥大化が懸念されることや、緊急性がないことについても内閣総理大臣が「要望」を出したことについて疑念を提出。さらに原子力発電事故に関する賠償問題について3つの条約を日本が批准していないことから、海外の被害者の損害賠償が巨額にのぼる可能性があることを指摘。感情的な筆はおさえられ、その分、被害者の方々には冷たくみえる部分もないではないが、東京電力の事業者責任が事実上ナカヌキ(電気料金の値上げなどによって賠償金の財源を捻出するなど)によって電力会社のモラルハザードが発生するリスクなども指摘している(179ページ)。問題が大きすぎて、にわかには想像がつかない事件だが、このまま法律的検討を先延ばしにしていくと、この先さらに行政の適時の対応と司法判断の問題のすりあわせが難しい局面も迎えるだろう。今まさに考えるべき時期に新書サイズで、コンパクトに問題点をまとめてくれた好著。