2007年12月31日月曜日

スキミング~知らないうちに預金が抜き取られる~


著者;松村喜秀 出版社;扶桑社 出版年度;2007年
 スキミング犯罪者が狙うのはハイテク化されていないキャッシュカードやクレジットカードというくだりからあっと驚く手口が紹介されていく。「あっ」と驚くというのは、その手口の背後にある技術や発想があまりにもアナログなので注意深く用心していればすべて防御できたはずのスキミングがいともたやすく行われているということだ。セキュリティに100パーセントはなく、そして情報が「金」そのものになる世界だという認識。クレジットカードは自分自身ほとんど使わないが、それで正解だったと思わしてくれる生活防衛のためにも必要な一冊。

アタマが良くなる合格ノート術

著者;田村仁人 出版社;Discover社 出版年度;2007年
 ノートの取り方というのは今まで我流で通してきた。が野口悠紀夫先生の「超整理手帳」を使い始めてから確かに自分の生活スタイルや記録様式などが変化。他の人が開発したメモやノートの取り方にも注意が向くようになってきた…。ということで学習用ノートの提言やアイデアをまとめた一冊。「結果を出すのに必要なのは正しい戦略と必要最低限の努力」というアドバイスをノートでどこまで実現できるか…がポイント。復習も考慮に入れたノート術ということでコーネル式のノートなどが紹介されていたりマインドマップも紹介されている。実は実際にこの本をきっかけにしてマインドマップにも挑戦してみようと思ったのだが、それに近い路線にまでは到達できてもなかなかあの色鮮やかなノートにはならない。ただし、完全に著者のアイデアどおりにはいかなくても「発想の素」みたいなものが我流のノート術の中に活用できるようになってきたのは一つの成果かもしれない。あれこれ「試行錯誤」しているうちに、そのうちに自分にとって一番のノート作成術がみつかっていくのだろう。

 現在の課題は会議や打ち合わせその他の情報整理を一元化していくのにはどうしたらよいか…といった点。今のところメモの大きさをすべてA4サイズに統一して重要なものは「超整理手帳」で持ち歩くといった方向に向かっている。マインドマップまがいのものも自分で作り始めたが、正しいマインドマップではないものの多数の項目を一元化してA4一枚にまとめていくことの重要性には気がつき始めた昨今…。市販のノートに限定されずに紙一枚でもうまく活用すれば安くてしかも自分にとって利用しやすいメモやノートになりうるということに気がついてきた…。

2007年12月27日木曜日

ココロクリニカ

著者名;和田秀樹 発行年(西暦);2004 出版社;ソフトバンク
 人間「魔がさす」ということはよくあるが、しかし「魔」がさした場合に失うものは社会的には大きい。したがってなるべく感情等については自分自身でコントロールできるようにしておくのが望ましいのはいうまでもない。現在では何某有名タレントが所属するプロダクションのマネージャーから刑事起訴されるという事件があった。冷静に考えれば割りにあわない話ではある。おそらく推測するに、芸能界のタブーというものは現在でも厳然と存在しており、それは非日常的な場面ではある種の暴力で強制されている部分もこれまであったのかもしれない。ただし時代はもはやそういう時代ではなく、「手をだした」場面でもうすべてが終了する。その場に第三者がいた場合で刑事起訴の場合には、偽証罪に問われる可能性があるので当然嘘もつけない‥。「冷静な判断」はすべてに勝るが、そうした判断力を養うのにはやはり専門家の意見を参考にするのがよいのだろう。
 この本では読者からの「悩み相談」という形式で種々のアドバイスが授けられている。ややエキセントリックすぎる質問もあるが、そうした部分も含めて人間の悩みというのは多種多様だ。実生活にどれだけ応用して取り込めるのかがポイントだろう。

ビンボー脱出のルール

著者名;和田秀樹 発行年(西暦);2004 出版社;扶桑社
 精神科医和田秀樹氏のビジネス書籍だ。これまでの日本のビジネス本というのはどちらかといえば「キレイゴト」というのが多かった。実現不可能な禁欲的な生活・倫理的な生活、しかもそこで説かれる「倫理」とは儒教的でもあり、キリスト教的でもある不可思議な倫理体系が多かったように思う。そこへ認知科学の成果をたずさえて和田氏のビジネス本が現在売れているのは、実現可能な目標を適切に与えてくれる点にあるだろう。「起業」とはいっても実際には会社の「給料」が基礎体力になるといった現実的な話は読者の生活の中に応用が可能な部分である。労働基準法そのほかの戦い方も含めて総合的な見地から「びんぼー」脱出のスキルをとく。ただしタイトルが「いかにも」という感じなので、レジにもっていくのには多少の勇気がいるのかもしれない。

退却神経症  


著者名;笠原嘉  発行年(西暦);1988 出版社;講談社
 1980年代の本であるがこの当時からある種の「無気力・無関心・無快楽」な人間集団が問題とされていたようだ。最近ではニートとよばれる集団に該当するのかもしれない。とかく世代論で最近の若いものは‥といわれることがあるが、現在の30代・40代も「シラケ」世代などと上の世代からはいわれていたのである。「自我」という観念はすごく難しいが、定義はできないけれども「自分の他人のかかわりを説明するときに用いること」が自我ともいえアイデンティティともいえる、とか無気力の原因として「何を行動しないために行動から逃げるのか」といった問題解決法は結構有意義でもある。たとえば「なぜ労働しないのか」という問題を考えるときに「何をしないために労働しないのか」ということと問題自体は裏表の関係だ。表の問題解決ができないのならば、その対偶としてのウラの問題を考えることも有意義だろう。
 さてこの本自体の内容は現在では相当に古びてきているのではないか、というのが個人的な感想だ。1980年代はいわばアイデンティティが崩壊、イデオロギーが崩壊する一方で未曾有の好景気の時代でもある。特段にまじめにしていなくても大方の大学生は一部上場企業に就職できたし、多少留年や浪人しても経済的ロスはさほどなかった時代である。現在の27歳以上あたりがその恩恵には浴していると思う。この時代の「退却神経症」と現在の「ニート」では現在の方が問題の根が深い。日本社会における「成功パターン」とよばれる神話がもはやないため、都市銀行への就職が決まってもそれから先の競争社会は以前よりもすさまじい。就職してからその先は年下の後輩や先輩とも業績を争うことになり、それがしんどい、という気持ちはわかる。
 もともと日本人には競争原理というのはあまりなじまないところにアメリカ型経済原理がもちこまれたのだからそれはしんどい‥。社会民主主義にはもちろん限界はあるが、英米型の経済原理のほかにもフィンランドなどの北欧型資本主義の形態もこれからの日本社会には取り入れていく必要性があるのだろう。「退却」すること自体が悪いとは個人的にはぜんぜん思えない。むしと「納税が」「年金が」と上の世代の論理で切り捨てるのには問題がある。勉強や労働がすばらしいものであるならば、なぜゆえにすばらしいのか、ということを社会全体で映し出すしかないのだろう。‥おそらく好きで生き生きはたらいている世代があまりにも少なく、お手本にはなれないのがニートの原因の一つではないのか。

独学術入門  

著者名;黒川康正 発行年(西暦);2000 出版社;サンマーク出版
 なんにせよ勉強自体は楽しくやらなければ意味がない。とはいえある種の懲罰がなければばかばかしくて机の前になどは座っていられない。自分をものさしとした「独学」を著者はとなえる。基本的に講義型の授業は私も好きではないので、独学には賛成だ。だがしかしこの本の内容もある種の警戒感で読まないと多分実現不可能な工夫に終わる可能性がなくはない。たとえば通勤時間の活用だが、これはそれが向いている人はそうすればよいがそうでなければ電車の中でまで勉強などする必要はない。モバイルで遊んでいるのも立派な時間のすごし方だ。積極的休養で「脳」を休めることも時間管理の一つなので無理をする必要はないのだろう。そうした意味では、この本は自分自身でオリジナルな勉強方法を確立するのに非常に有意義である。必ずしも本の内容どおりにする必要性はまったくないという点をしっかり理解さえしていれば。
 ただし家族まで勉強に引き込むスキルや「人脈」を功利的に利用する方法は「ちょっと‥」という気がする。ある種そこまでやらなければならない必然性とか、資格試験で得たノウハウを他の日常生活にどう活用していくのかといった視点がまるでない。資格試験も受験勉強も狭く「合格」だけを目標にしているとおそらくその後失敗する。資格試験では「上達の原理」といったものを習得しているのだ、と広く基礎から理解していくほうが応用がきく。クラブ活動や趣味にしても共通する基礎というものは厳然と存在する。そうした上達の原理さえつかんでしまえば、その応用を日常生活でしていけばよい。
 アメリカではハーバードなど高学歴な人間の成功率は日本よりもかなり高いが、それは別に学歴社会がどうこうということではなく、成功にいたる戦略的要因をしっかり卒業までに把握し、個人個人が「ライフスタイル」というものをしっかり確立できているからだろう。思うに「公務員」というものに意義を感じている人間ほど、「成り行き」で公務員になった人間よりもその後の仕事への取り組みが違ってくるのではないだろうか。資格も受験も同様だと思う。

あぶない脳

著者名;澤口俊之 発行年(西暦);2004 出版社;筑摩書房
 脳科学の専門家が雑談もまじえながら人間の「脳」について語る。やや極論ともおもえる著述もあるが、それも含めて「あぶない脳」というタイトルにしたようだ。
 科学の発達についても著者は「人間のおもいこみ」が激しいがゆえに「思い込み」を排除するためのツールが「科学」であるとする。総合的なデータから論理的に的確な結論を導出する方法論のことである。記憶は脳の情報処理のデータベースという指摘も興味深い。すでに蓄えられている記憶をベースに推論を加え、その結果をさらに取り込むというサイクルを演じているわけで、そうなると「詰め込み」というのもあながち悪いことではなくなるわけだ。
 人類の始まりから、いわゆる「怪奇現象」まで幅広く取り扱った面白い本。暇つぶしにはお勧め。