2013年7月30日火曜日

何のために働くのか(文藝春秋)

著者:寺島実郎 出版社:文藝春秋 発行年:2013年 本体価格:750円
 何のために働くのか‥というテーマとともに連想するのは、今年引退を決めた中日ドラゴンズの山崎選手や山本投手など、ボロボロになってもユニフォームを脱がなかった(脱がない)選手である。もうすでに食べていくのには困らないほどの蓄えはあるだろうし、功なり名なり遂げている選手だ。山崎選手はもし楽天ゴールデンイーグルスのときに現場を去っていたらコーチから将来の楽天の監督候補の道筋もあったはずだが、あえて現場にこだわった。
 この本では「働く」ということについて、給与(賃金)を得るという意味での「稼ぎ」、社会的責任や貢献をおこなうという意味での「ツトメ」という言葉で働くということの意味を説明している。まあ、そうした「ツトメ」と「稼ぎ」の間に微妙なグレーゾーンや当初の目的とは異なる偶然の要素などもあり、意外に人間の人生はふらふらあっちいったりこっちいったりの繰り返しとなるが、そうした偶然との戯れこそ、また「ツトメ」の意義深いところである。当初想定した社会的環境は時間の経過とともに変化していく。社会的環境が変化すれば、自ずと「稼ぎ」も「ツトメ」も変化していく。著者自身が三井物産を辞めようとして辞めずにブルックリン研究所などに派遣されたりするのだが、2年~3年で社会が変化する今、著者の過ごしたキャリア人生よりももっと変化の激しい時代に今の学生は身を置くことになるのだろう。必ずしもこの新書の内容は体系だった構成にはなっておらず、ページによってはまったくテーマから逸脱した原発問題などが語られていたりする点で、読みにくい。しかしこの読みにくさは、著者が考える「働く」という言葉の意味の奥ぶかさと変化の激しさを表しているとも思えなくはない。簡単に結論が出る内容ではないが、「素心」という言葉が心に残る。

2013年7月29日月曜日

多読術(筑摩書房)

著者:松岡正剛 出版社:筑摩書房 発行年:2009年 本体価格:800円
 2009年の初版4刷の書籍だが、この本が水道橋にある丸善の書棚に新刊とまざって棚差しになっていた。手にとってみるとなんだか面白い。そしてこの1冊の本を読んでいくうちに、自分がこれまで読んできた本の記憶が次々と連想されていくという妙な気分を味わうことになる。それはもしかすると千代田区にある富士見ヶ丘教会という自分自身もよくみる教会の話がでてきたり、舞台で証明をやりたかったという筆者の経験に親近感をいだいたせいかもしれない。あくまで個人的な筆者の体験や考え方が、そのまま自分の頭の中にコピーされて、さらにそこから色々な書籍にハイパーリンクが貼られていく感覚だ。一冊一冊を丹念に読み解くだけが読書ではない、速読が精読よりも「読む」ことに近い‥といった趣旨の話が書いてあるのを読むと、普段から「書籍ってインターネットに似ている部分があるなあ」と感じていたことがそのまま文章化されているような気持ちがする。いわゆるビジネスパーソン向けの「読書法」とは対極的な内容ではあるが、逆にビジネスに関連づけてこの本を読むことだって可能だ。
 この本で特に注目というと、やはり98ページから展開されている「編集工学」の著者自らの解説だろう。「意味の交換」のためにおこなわれる編集行為がコミュニケーションだ、とし、そこからマッピングや年表の作成といった具体的な話にまで著述が広がるが、ここまで壮大な話をコンパクトに98ページから119ページという約20ページに「編集」して文章を書いてくれているのだから、この新書という形態と著者の力量、そして筑摩書房の編集者の感性がすごい。

2013年7月28日日曜日

ワーキングプア(ポプラ社)

著者 NHKスペシャル『ワーキングプア』取材班 出版社:ポプラ社 発行年:2010年(文庫版)
 アベノミクスとよばれる巨大な金融緩和政策と財政出動、そして抽象的ではあるが成長戦略の骨子が公表されて数ヶ月。株価はあがり、円安による影響もあって物価は上昇しつつある。それでもなお、先行きがみえないのが、賃上げや有効求人倍率の上昇といった労務関係の動向だ。
 本来であれば日本は少子化になるのだから人件費は供給される人口が減少していくほど一人あたりの賃金は上昇するのが筋だ。それがそうならないのは、ひとつには企業内部の資金が適正に配分されていないため、どうしても若年層への配分が小さくなる、非正規雇用契約の労働者の増加、海外からの労働力の流入といった要因がある。この本でも、岐阜県の繊維産業で活用される中国人留学生のエピソードと留学生の活用によって日本人労働者や会社の経営が苦しくなる様子や、ホームレス化する若者のエピソードが紹介されている。昭和初期の貧困とは、やはり今の貧困は様子がどうも違う。たとえ正社員であっても「ほんのちょっとしたこと」(離婚や整理解雇、会社の破産など)でワーキングプアに転落しかねないのが今の現実で、そうしたリスクを支える社会のセーフティネットはまだまだ不十分。というよりも失業保険の支給期間なども短縮化され生活保護の給付内容も厳しく制限される傾向にあるなか、この平成大不況をきっかけにワーキングプアにいったん転落すると次の世代にもその「貧困」が継承されかねない危険もはらむ。「貧困をどうするか」について景気の拡大をめざすのであればやはり金融政策や財政政策の運用ということになるが、もうひとつは社会保障費の支出内容を洗い出して、削減するだけではなく、効果的な運用という具体的な「中身」の選別も必要になるだろう。たんに企業の収益が拡大しただけでは、「真面目に働いても報われない」といったワーキングプアの問題は解決できる要素が少ない。

2013年7月9日火曜日

国際会計基準はどこへ行くのか(時事通信社)

著者:田中 弘 出版社:時事通信社 発行年:2010年 本体価格:2000円
 国際会計基準(IAS)あるいは国際財務報告基準(IFRS)については、2009年ごろは5~6年でアメリカや日本も含む世界統一基準になるはずだった。しかしアメリカはその後もFASB(米国財務報告基準)を維持し、日本もまた企業会計基準委員会から公表される会計基準を原則とし、国際会計基準はあくまで一部の上場企業について容認されているのみだ。著者はアメリカがなぜFASBを放棄しないのか、その理由を会計政策の面から分析し、日本についても独自の会計基準を維持しつつ、国際的な調和を図る方法がベストな方策だったことを明らかにする。そのうえで国際会計基準に定められている離脱規定(カーブ・アウト)を活用する利点や製造業にとって有意義な取得原価主義会計の活用を提言する。
 著者の力作であるが、読みながら、アメリカと欧州、そして日本の文化の違いに思いが至る。国際会計基準はもともとは英国に端を発してその後EU域内の統一基準として活用されることが当初の目標だった。したがって、地域の文化や歴史などを重視した原則主義をとる。一方、アメリカはその欧州からカルヴァン主義の影響を受けた清教徒の文化の流れをくむ。「天は自ら助く者を助く」という格言があてはまる自力救済の文化だ。そうした文化では詳細かつ厳密な会計基準が妥当し、FASBは厚さ数十センチというとんでもない分量の会計基準となる。それでは日本はどうかというと、アメリカよりもむしろ欧州のような農耕文化をベースとした歴史、地域、コミュニティを重視する社会だ。そうした文化ではFASBのような詳細な会計基準よりも原則主義の国際会計基準でなおかつ曖昧な規定が残っているほうがかえってうまくいく面がある。その意味では、国際会計基準に大きな影響を与えているアメリカに対して批判的なフランスなどとむしろ協調がとりやすい面がある。
 2010年発行の書籍だが、現在でもなお、アメリカはFASBを維持して、日本は国際会計基準の強制適用の時期を送らせ、むしろその一歩手前で金融庁による暫定的な会計基準の作成が新聞で報道されたばかり。国際会計基準と日本基準の「中間」をどこに求めるかだが、少なくとも数年前の急速に国際会計基準を導入するという方向から、スピードダウンしたことは、幸いだったのかもしれない。この国際会計基準については理論的に正しいかどうかという視点以外に、政治的に有利か不利かといった問題もはらんでいる。農耕文化の国家らしく、ここは国内の会計基準と国際会計基準の彼岸を分析し、日本から逆に国際会計基準に提言すべき論点などをまとめるにはいい機会かもしれない。

2013年7月2日火曜日

トーキョー無職日記(飛鳥新社)

著者:トリバタケ ハルノブ 出版社:飛鳥新社 発行年:2009年 本体価格:952円
 著者の実際の体験を「脱構築」して作り上げた大学中退後に無職の生活をへて、20代後半からようやく働き始める「おれ」を4コマ漫画で描く。ここで描かれる「ニート」の生活は、おそらく著者が1975年生まれということと無関係ではあるまい。1980年代後半のまだバブル経済の余韻が残るころでは、「フリー」「アルバイター」という言葉はむしろ自由な人生を切り開く積極的な意味を持っていた。それがネガティブなイメージに転換するのは、1990年代後半ぐらいからではなかろうか。で、多くの場合、「ニート」が自宅から一歩足を踏み出してからの世間の風は厳しい「はず」だが、この漫画では意外や意外、周囲の人は暖かい。
 「ふつう」、家にひきこもって人間不信で社会人生活もろくにおくっていない人間が、働き始まると、そこでコミュニケーション不全を起こして再び元の生活にもどるか、あるいは無味乾燥な労働再生産のサイクルに落ち込むはずだが、この漫画では、というかこの作者はそうなっていない。いろいろな理由があるだろうが、ひとつは「作者」が作成したホームページから始まるネットワークの存在がある。
 これ、本当の意味での引きこもりには入手できないアイテムで、「ニート」「ダメ人間」と自嘲するわりには、オフ会でそれぞれの人生観を語り合ったり、自分のダメっぷりを暴露したりと、非公式のネットワークが「作者」を支える。出来すぎともいえようが、このネットワークがあるかないかは、そのまま引きこもっているかどうかを分ける大きな分岐点になりうる。作者もあとがきで「ご都合主義かも‥」と書いているが、試行錯誤のすえに漫画家として「成功」できたのは、おそらく利害関係がほとんどないネットワークの力ゆえであろう。
 世相を反映して殺伐とした漫画が多い現在、珍しいほど結末が明るい漫画だ。ちょっとした身のまわりにある「幸せ」を再発見するにも、いい内容だと思う。画力のなさ加減がまたリアリティがあってよい。