2013年1月31日木曜日

フロイトで自己管理(角川書店)

著者:斎藤孝 出版社:角川書店 発行年:2008年 本体価格:705円
 19世紀の天才、しかも賛否両論ある心理学の巨人の「いいとこどり」をしていこうという本。おそらく著者の考えとしては、こういう形でフロイトの世界に入って、そこから原典に進む学生がいてもいい、というものかもしれない。ひとつのキーワードから独自の世界を織りなしていく手法が近代ではなく、なんとなくポストモダン。しかもさらっと書いてある内容のどれもがかなり実行するにあたってはレベルが高いものばかり。会議のさいにホワイトボードを用いるのはどこの会社でもやっていることだと思うが、それがいろいろな人との効果的なコミュニケーションにつながるかどうかはまた別の問題。「限定的ナルシズムのすすめ」など、やってみると多分難しいことではなかろうかと…。
 「繰り返し気持ちが向く対象」にセザンヌがでてきたりと、とにかく内容が盛りだくさん。ただ意味合いがじっくり心に伝わってくるのもまた著者独自の文体というかリズムのせいか。軽く読むとあっという間に読み終わるが、内容について考え出すとかなり深い。

若者を殺すのは誰か?(扶桑社)

著者:城繁幸 出版社:扶桑社 発行年:2012年 本体価格:720円
 「若者」という言葉の示す範囲は存外広いかもしれない。通常は10代後半から20代前半ぐらいが「若者」ということになるが、年金問題や税金問題の観点からすると今では50代半ばくらいまでが「若者」に含まれる局面もある。この本でも指摘されているが、厚生年金の給付などの「格差」をみると30代と高齢者とでは6000万円以上の格差が生じる可能性もある。もはや賦課年金制度では日本の年金制度を維持することは不可能に近くなっているのだが、積立方式に移行するとなると現在の「高齢者」から反発がでる。投票行動が一番激しく、市民運動などでも先頭をきるのが、いわゆる「団塊の世代」で、保守政党から左派まで一様に高齢者に対する保護政策は変更するふしがみえない。
 こういったいびつな年金制度が、雇用問題にも影響を与える。たとえば定年延長制度がそうだったり、最低賃金法や労働者派遣法だが、これもまた「労働者の保護」という名目ではあるのだけれど、派遣事業を規制すると企業のほうで採用を自粛するから失業率の改善にはむすびつかない。定年延長制度を導入すると「若者」の就職率がおかされる。このままだと10年後、20年後には生活保護への「駆け込み需要」が増加するという著者の指摘がまさに現実になりかねない。
 こうした問題を「悪化」させているのは、一種の規制政策と保護政策で、格差問題を引き起こしたとされる小泉市場改革ではない…という論調が背後にみえる。賛成。もちろん必要な規制はある。環境問題や公正取引委員会などの活動は、効果があったとは思うが、こと雇用問題については各政党の政策、とりわけ民主党の政策は労働問題をより悪化させただけではないかと思う。「若者を殺すのは誰か?」、逆説的だが、「(生かそうとして)規制を持ち込む各政党・マスコミなどの論調や雰囲気」といったことになりそうだ。ある意味では小泉内閣の路線を継承する安倍内閣の政策に今後期待したいのだが…。

2013年1月29日火曜日

野村「ID」野球と落合「オレ」流野球(KKロングセラーズ)

著者:川崎憲次郎 出版社:KKベストセラーズ 発行年:2012年 本体価格:1300円
 ヤクルトスワローズの元エースで1993年の西武ライオンズとの日本シリーズでは、第4戦と第7戦で先発。2勝してヤクルトの日本一に貢献したのが著者の川崎憲次郎氏。その後中日ドラゴンズに移籍するものの故障によってその後引退。しかし、2013年度からはひさかたぶりにロッテマリーンズでコーチとしてマウンドに復帰する。
 野村監督の独特の野球理論は、それまでの野球指導をくつがえす革命的な方法だったと思う。スピードがなくてもコントロールと配球で勝負し、マスコミでは「野村再生工場」といわれていた。教え子は著者の川崎憲次郎氏のみならず、巨人の戦略コーチの橋上秀樹氏、2000本安打を達成した日本ハムの稲葉、日本ハムのエース武田、ヤクルトスワローズの宮本など多士済々。現役の選手だと野村監督の教え方をどう受け止めたかといった話はしづらい部分もあるだろうが、川崎氏はすでに引退から時間が経過しているということもあり、わりと率直に教えを受け止め、さらに熟成させていったという感が強い。「変化は価値なり」という言葉がつづられているのを読んで、川崎投手がシュートを覚えて「復活」していったプロセスの一端がわかる。
 一部の「天才」には確かに努力も工夫も必要がない。ただ大多数の凡人にとっては、「目標意識の設定方法」や「努力」(を実践すること)だけでも一苦労だ。その一苦労を乗り越えていき、日本シリーズで活躍できた著者だからこその野球書籍である。

 表紙は非常にセンスがよく、文字の組み方も読みやすく作成されているが、やや誤植が目立つのがもったいない。日本語も首をかしげる部分がないでもなく、もう少し編集のほうで丹念に赤字校閲をするべきだったのかな、というのが残念。

21世紀のキャリア論(東洋経済新報社)

著者:高橋俊介 出版社:東洋経済新報社 発行年:2012年 本体価格:2500円
 偶然によって決定されていく「キャリア論」。実はこれかなり説得力がある。目的があって目的にむかって直線的に「キャリア」が実現できるというルートは昔もなかったし、想定外の変化が多々発生する現在ではもはやごく少数の天才以外には望むべくもないキャリア論だ。そもそも勤務している会社が十年後に存続できているかどうかも、だれにもわからない時代だし、予測不可能な技術が発達することで産業そのものが衰亡していくケースもある。
 自己効力感というキーワードが印象的だったが、「やりがいのある仕事とは何か」を考える上でも示唆にとむ。これから就職や転職をする人にも、もうストリート・オブ・ノー・リターンな年齢になった人が過去を振り返り反省するにも参考になる内容が多い。自分自身の内面の哲学を固めつつ、社会全体の規範的な内容とのバランスをとるという著者の考え方も現実味がある。
 仕事が楽しいと多少給料が「あれ」でも人間は耐えることができる。しかし、「給料がもらえるからなあ」という損害回避の発想で一日をすごしていると24時間が耐え難いほと長く感じるに違いない。自分自身で自己効力感を高め、充実した仕事観を育成していくためにもヒントになる著述が多い。

2013年1月21日月曜日

数学で読み解くあなたの一日(早川書房)

著者:ジェイソン.I.ブラウン 出版社:早川書房 発行年:2010年 本体価格:2000円
 三つ子の魂百まで…というかやはり文系職種であっても数学は10代のうちにある程度はやっておいたほうがよい。微分積分や数列、行列の基礎を固めておくと、ビートルズのコード進行と数学について論じたこういう本も楽しみながら読める。というか心理学や社会学では統計学は必須アイテムだし、経済学ではこの本でも取り扱われている効用関数や生産関数の理解に微分積分を用いる。必要になってから学習するという方法もないではないが、高校レベルの数学を年齢がいってから学習するのはしんどい話だ。とはいえ社会人になってから数学に取り組めばそれはそれなりの「見返り」は当然あると思うが。
 この本は難しい数式なしで等比数列なども図形など「目に見える形」で理解を進めていこうとする。数式がでてくるとしてもせいぜい分数程度で、サイン関数が出現するのは巻末に特集されている音楽と数学の話の箇所。周波スペクトラムの図で「ヘイジュード」を解析してしまうのだからすごい。日常生活でも数学は時に個人的にも無意識に用いていることがないではない。たとえばそれは風力とスピードとのベクトルといった「イメージ」や、「政府が投資援助」というニュースで思い浮かべる等比数列の数式の「イメージ」。難しく数式をとらえるよりもイメージをより「精緻化」していくのに数学や図形が役に立つという考え方もできる。エレキギターの演奏家でもある大学教授の力の抜けた数学エッセイだが、あなどりがたい面白さ。

2013年1月17日木曜日

船を編む(光文社)

著者:三浦しおん 出版社:光文社 発行年:2011年 本体価格:1500円
 ヴィレッジ・ヴァンガードはやはりユニークな「書店」で、この本はまだ平積み。冒頭から最後まで一気読み。久方ぶりに胸が熱くなるような小説を読んだ。
 冒頭で登場する「荒木」の生い立ちから話が始まり、さてはこの物語の主人公かと思いきやさにあらず、端正なこの書籍のなかに、まさしく「言葉」と「時間」の海が広がり、主人公は一応いるのだが、実際には辞書をめぐる年代記。舞台の春日、後楽園、神楽坂、神田神保町というロケーションも実に見事。春日から本郷三丁目のあたりにはまだいくつかは下宿が残っているはず。ホコリと古本が集積する古びた辞書編集部の雰囲気を醸し出すにはやはりこのロケーションでなくては…。
 登場人物はほとんど全部が善人で、「実際にはけっこう妙なメンバーも参加することあるのではないの?」とツッコミも入れたくなるほど、辞書の編集をめぐって言葉の世界を編んでいこうという気運がページにあふれてくる。それがまた自分の日常生活のエネルギーにもなってくるから優れた小説というのはまったく不思議な産物だ。常に用例をメモしてさらに行数を計算して紙にもこだわって…というプロセスのひとつひとつがまた羨ましくなるほど「仕事」を楽しんでいるという感じでよい。
 あ、用例をメモするさいには見事なほどウェブの世界はでてこないのだが、ウェブと辞書づくりをあわせていくと、人間関係や熱意が作品を作っていくという雰囲気が伝わりにくいと著者が判断したのかもしれない。映画化もされるというし、その出来栄えをまた鑑賞するのがこれからの最大の楽しみだ。

ゾンビ経済学(筑摩書房)

著者:ジョン・クイギン 出版社:筑摩書房 発行年:2012年 本体価格:2600円
 書籍の価格帯で一番内容のあるのが2000円~3000円の枠内かな、と個人的には考えている。「一応」この本もその価格帯なのだが、タイトルの面白さが際立ちすぎて著者のイイタイコトが今ひとつ見えないのが残念。ただ「大中庸時代」(IS-LM曲線で政策運営ができた時代?)→効率的市場仮説(市場はすべてのキャッシュフローを等価値にすると考える時代?)→動学的確率的一般均衡(時間の経過をモデルに取り込んだ時代?)→トリクルダウン(富裕層への減税が社会全体にいきわたると考える時代?)→民営化(サッチャリズムやレーガノミックスといった新保守主義の時代?)と流れをおって経済学の考え方が一覧できる。
 数多くある経済学の系譜の一部をなぞればこういう書籍にもなるのかもしれない。著者の言い分はいずれも学説としては死んでいて、それで結局財政政策と金融政策の適切な組み合わせが大事…っていうことになると原始的なIS-LM曲線の世界にまた戻ってしまうのではなかろうか、と感じたのも事実。また色々な経済学のモデルが現実のさまざまな条件を切り取って構築されているのは周知の事実で、現実に妥当しなかったからといってモデルを否定するのもガテンがいかない。政策投資の乗数効果はケインズが想定していたほど大きくはないといった計量経済学の研究があるが、それではどうして理論どおりにいかないのか、について考察するのもまた実りある研究だろうと素人ながら思う。「ゾンビ」が「ゾンビ」たるゆえんは、やはりそのまま朽ち果てるには惜しい「何か」があるからで、それぞれの学説の一断面を切り取って捨てていくのは、あまり生産的な感じがしない。
 おそらくは著者の専攻が農業経済学というのと関係があるのかもしれない。農産物については、工業製品ほど計画的・安定的に収穫が保証されているわけでなく、また農産物市場は天候など自然現象に大きく左右される。そうした経済市場を研究していると、IS-LM曲線にしたがって農地に投資しても理論どおりに景気が拡大するわけでなく、すべての資産の将来キャッシュフローの割引現在価値を生産者も消費者も予測しているわけでなく、また時間の経過にともなう所得動向などだれも予想ができるわけでない…といった「刹那感」がでてくるのかもしれない。
 オーソドックスな近代経済学をある程度学習してから読むとかなり面白い本だと思う。ただいきなりこの本から近代経済学(主流派経済学?)の世界に入ると、かえって経済学の面白さからは距離をおいてしまうことになるかもしれない。

2013年1月15日火曜日

10分あれば書店に行きなさい(メディアファクトリー)

著者:斎藤孝 出版社:メディアファクトリー 発行年:2012年 本体価格:740円
 中小零細の書店数が軒並み店じまいし、大規模書店も統廃合の動きがみられる昨今、書店に定期的にいく人口も相当に減っていそうだ。この本で中身のある本を3冊読むと半年間の大学の講義に匹敵するという指摘があるが、感覚的には自分もそう思う。まったく知らない分野で最低限の知的レベルを獲得する場合には、それなりの入門書3冊読解である程度ところまで知識や情報を得ることができる。ただし、それ以上のレベルになるにはその2倍の6冊ぐらいが必要になる印象。
 個人的には書店にはわりと足を運ぶほうだが、それでも「10分だけしかないならいかなくてもいいかなあ」と思ってしまう。だが著者は10分だけでも書店にいけという立場。新書や文庫本を見て回るだけでもかなりの知的刺激を受けるというのが論拠で、こういう触発作業もまた大学の先生が今意識しておこなわなければならないことかもしれない。
 モチベーションの維持やスキルの開発などに書籍は必要不可欠だと思うが、ウェブのコンテンツが拡充されていくにつれ、書籍の優位性は確実に(相対的に)低くなってきている。無料のコンテンツに負けない内容の有料書籍をいかに開発して編集していうかは作る側の問題だが、コストと売上高の関係の予測がつきにくい時代には、なかなか高価な本も出版しにくくなってきた。電子書籍でコンテンツを安価に配信してその分売上数量を伸ばしていくというのもひとつの方法だが、そうしたチャネルの開発ができないままウェブのコンテンツが充実してくると電子書籍で書籍を販売していくというのも苦しい時代になるのかもしれない。

2013年1月9日水曜日

フランス革命の志士たち(筑摩書房)

著者:安達正勝 出版社:筑摩書房 発行年:2012年 本体価格:1600円
 フランス革命に関するもので安達正勝氏が執筆された書籍に「はずれ」はなし。「死刑執行人サムソン」(集英社新書)も非常に面白い本だったが、この本でもラ・ファイエット、シェイエス、ミラボー、ダントン、マラー、ロベスピエール、ナポレオンなどなだたるフランス革命当時の「志士」たちを取り上げ、巻末にはそれぞれの登場人物の生没年一覧が掲載されている。著者は1789年から1804年のナポレオン戴冠までをフランス革命と位置づけているのが独特だが、ジャコバンの恐怖政治から、テルミドールの反動、バランなどによる総裁政府からナポレオンの台頭、そして帝政の始まりと流れでみていくと、1799年のブリュメールのクーデターまでで区切るよりもナポレオンそのものが皇帝になるまでで区切ったほうが、過激な共和主義者が自ら独裁者になる変遷がとらえられて面白い。
 フーシェやタレーランなども取り上げられているが、やはり奥さんを助けるためにテルミドールの反乱に加担し、その後奥さんに捨てられて寂しく老後を迎えたタリアンの一節が興味深い。時代に順応できた奥さんとできなかった元貴族の旦那というこのコントラストは、フランス革命当時も巷でみられたものだろうし、あらゆる時代の境目でリフレインされる男女の間という感もなくはない。ナポレオンもマリー=ルイーズとの関係をみれば、タリアンとさして変わらない最後を迎えている。
 世界史の教科書的な内容も(ナポレオンの大陸封鎖政策やヨーロッパ諸国に近代主義や国民国家意識をもたらしたといったことなど)もふまえ、さらに個々の「志士」たちの人生を掘り下げていくというかなり欲張りな本で、しかもそれが面白いのだから1600円で286ページの本はかなりのお買い得。こういう歴史関係の書籍はやはり執筆者の「思い入れ」によって出来具合が左右されるものだと再認識。
 

2013年1月7日月曜日

「レ・ミゼラブル」百六景(文藝春秋)

著者:鹿島 茂 出版社:文藝春秋 発行年:2012年(文庫本新装版) 本体価格:819円(文庫本新装版)
 「レ・・ミゼラブル」を日本語で全部読んだのが19歳のとき。当時はストーリーの合間にはさまるユゴーのねっちりした社会哲学みたいな横道が非常にうざったかった思い出があるが「貧乏」「貧困」に対する恐怖感みたいなものは難解な文章のなかから伝わってくる思いがした。
 ジャン・バルジャンが物語に登場するのが1815年。ちょうど第二次パリ条約によってナポレオン帝政が終了したときで、ジャン・バルジャンがみまかるのが1833年という設定になっている。1830年に七月革命勃発でブルボン王朝による王政復古からオルレアン家ルイ=フィリップによる立憲君主制に政体が変わるので、一番不安定なナポレオン帝政、王政復古、立憲君主制の時代をこの物語は背景としている。
 共和主義者もいれば、ナポレオン主義者もいて、もちろんブルボン王党派も根強い人気をもつといった時代。しかも産業革命の恩恵はまだ一般庶民にはもたらされず、人間と機械装置が置き換えられるちょうど過渡期ともいえる。この世相は、なんとなく情報革命が進行しつつ、「大きな政府」(社会民主的な政府)と「小さな政府」(市場主義原理を活用する政府)が入れ替わる時期の日本の世相とも通じるものがある。
 この本によれば、レディメイドの衣料品はまだ浸透しておらず、オーダーメイドの古着を換金して食料に変える時代だったということだが、ヤフーオークションでいらないものを売って食料品を購入するという家計もいることを思えば、機械装置に労働を奪われた当時のフランスの労働者とパソコンに労働をうばわれる現在の日本とで共通点はありそうだ。また共和主義から王制主義まで価値観が揺れ動く世相も、市場原理から社会福祉重視まで政策メニューが多様化している現在日本の世相を共通しているといえるかもしれない。
 著者はユゴーのイデオロギーと「レ・・ミゼラブル」の著述を重ね合わせたり、あるいは小説の一部から生活の様子を浮かび上がらせたりと、「もうひとつのレ・・ミゼラブル」を作り出している。これは、「レ・・ミゼラブル」をより豊かに鑑賞できる「下地」が脳内でできあがるだけでなく、19世紀前半のフランスを思いつつ、今の日本を見ていく過程でも有用。さらにバルザックなどほかの作家の小説を読む際にもイメージが広がっていくことだろう。
 仕事始めの通勤時に1ページ目をめくり、帰宅途中に一気に読み終わってしまったが、とにかく面白い。小説そのものに時代背景に関する解説などはないから、その時代背景や生活状況などが把握できると(特に当時の貨幣価値と現在の日本の貨幣価値のおおまかな換算)原作の面白さも増す。こういう本が文庫本で入手できる日本はやはり幸せだ。

警察庁長官を撃った男(新潮社)

著者:鹿島圭介 出版社:新潮社 発行年:2012年(文庫本) 本体価格:590円(文庫本)
 このルポタージュの著者がなんとフリーランスのルポライター。2010年3月に公訴時効をむかえた国松元警察庁長官狙撃事件の捜査の裏側と刑事部の捜査によって真犯人ともくされていた別の容疑者への取材。そしてオーム真理教と狙撃事件との関わりの分析など、多角的な視野から状況を分析。狙撃事件発生直後から公安部がこの事件を担当したが、もともと過激派など特定団体の違法行為を監視するのが得意な部署と狙撃事件など事件の証拠を積み重ねて真犯人に肉薄していく刑事部とでは事件へのアプローチがまるで違う。「踊る大捜査線」などでも公安警察と刑事警察の「仲の悪さ」が描写されているが、この実際に発生した事件でも、両者の事件へのアプローチの違いが大きくでた。
 その後、公安警察が事件の関わりを指摘していた「平田容疑者」も自首したが、その後警察庁長官事件との新たな関わりは公表されていない。また、ホローポイント弾という特殊な弾丸の入手経路や「戦争でも起せそうな」火気類の入手といった客観的事情からすると、どうも刑事部が真犯人と目していたN(書籍では実名)が真犯人である可能性は極めて高い。法治国家で、しかも自らの組織のトップが狙撃された事件で真犯人を特定できないまま公訴時効というのは、かなり異例の事態だが、その異例の事態を導出した要因をこのルポでは分析している。ひとつは、組織内部で捜査方針がまるで違う2つの部署がお互いの見解を譲らなかったこと。もうひとつは、組織トップの「メンツ」が真犯人の逮捕に優先してしまったこと。この事件の真犯人が「誰か」はもしかすると時間が経過していけば捜査や公判とは別の形で表に出てくる可能性がないではない(公訴時効を迎えたことで容疑者Nとその相方が真実を出版するといったことなどが考えられる)。ただし、真犯人の特定や起訴に至らなかった点については、別の事件で同じように組織内部で対立することがありうる。そのときには一つの反省材料になるだろう。

2013年1月5日土曜日

パリ・世紀末パノラマ館(中央公論新社)

著者:鹿島茂 出版社:中央公論新社 発行年:2000年 本体価格:724円
 世紀末的な事柄というのは、著者によると実際の世紀末よりも15年遅れて到来してくるのだという。1900年が19世紀の世紀末だとすると、実際の終末感は1915年ごろに到来するということになる。第一次世界大戦が1914年で、1720年には南海泡沫事件、1721年にロシア帝国が始まる。1815年にはワーテルローでナポレオンが敗れ、セントヘレナ島へ流され、フランス革命にも一区切りをついたところ、と歴史を遡ると実際の「区切り」は確かに西暦の区切りに10数年遅れて到来するようだ。21世紀もまた2001年のお祭り騒ぎよりも、むしろ今年か来年かに大きな出来事が勃発してさらにこれまでの区切りをつけることになるのかもしれない。すでに福島原子力発電所事故などでこれまでのエネルギー政策の見直しが不可避になってはいるが、まだ本格的なエネルギー政策論議には到達していない。実行可能な再生エネルギーの活用と展望については、「これから」という段階だが、その結論も2015年ごろまでには見通しがたつ可能性は否定できない。
 そしてこの本、メトロが1900年にパリに開通したときのエピソードやパリの都市計画などのエピソードを通じて、十数年遅れて到来した「世紀末」を描写。遠く離れたパリの歴史と文化を通じて、東京の現在を考えさせてくれる内容になっている。パリの機能美はナポレオン3世とオスマン知事の功績ということになるが、これらの都市計画を成功させた要因と必然性(そして偶然も)それなりにあったのだ。これが東京であれば、今の課題は防災計画と環境問題、さらに超高齢社会への対応ということになるだろうか。都市計画の必要性はあるが財政問題などの成功要因がまだない、というのが課題ではあるが…。デパートの歴史やコンビニエンスストアの発想の源など歴史のみならず商業の隆盛という観点からみても興味深い。写真が多いのも嬉しい。