2012年1月31日火曜日

先着順採用、会議自由参加で「世界一の小企業」をつくった(講談社)

著者:松浦元男 出版社:講談社 発行年:2009年 本体価格:762円 評価:☆☆☆☆☆☆☆
 世界一のプラスチック精密部品メーカーをめざし、百万分の1gの歯車を完成させた樹研工業。この会社、ルールがない。というかタイムカードがまずない。出張はクレジットカードのみもたせて報告書の類の作成もない。高い生産性を実現するためとはいえ、ここまで内部統制的なことをしない会社はめずらしい。それでいて採用は先着順。とんでもないメンバーが集まりそうだが、実際にこの本を読んでいると就職してきたのは、元ヤンキーやらなんやら。しかも定年制もない。その一方で一日7時間労働をめざすというのだから、特に労働組合の影響もなさそうなところをみると、これはやはり著者である社長の一種の人生哲学や経営理念がそのまま株式会社の運営に反映されているのだろう。そして注目すべきはその社員たちのモチベーションとスキルの高さ。チャンスとモチベーションを社員に与えた結果、高卒で数学嫌いの元ヤンキー女性が微分積分をマスターしたり、工業高校卒業のエンジニアが世界一の製品を作り出したり。その一方で英語や中国語をマスターする社員が続出。この理解不能な社風と生産性の高い社員の集まりは、著者がジャズをやっていたのと関係があるのではないかと思う。

 オーソドックスな経営学はいわばクラシック。音楽理論をきっちりふまえて五線譜に音符が並び、繊細な解釈を音にのせて運ぶ。ただし非常にスクエアな場での演奏が前提とされているので悪天候の野外などでは鑑賞には適さない。一方ジャズは野外であれなんであれ一種即興性をきそう天才肌の音楽。飛び入り参加もあるかもしれない(もちろんジャズもクラシックも基礎は大事だが)。通常の企業はクラシックベースの経営だが、社長が元ジャズマンであるこの会社は、営業スキルや語学、技術力などをそれぞれの社員が競いあう風土で、そこに微妙なハーモニーが流れるのだろう。予算をたてない開発計画や参加自由の会議などはジャズ的風土にふさわしい。で、自分は、というと正直自由な風土に羨ましさは感じるものの、その自由な風土でエネルギー全開でかっとぶ自信がない。自由というのは外面的規律ではなく自分自身との戦いになる。ある意味では校則だらけの学校のほうが自由きわまりない野外よりも「楽」って面はあるのだ。タイトルだけみると「あ~、自由で羨ましい会社」っていうことになるが、逆に考えるとこういう風土でも仕事ができなかった場合の自分の自分に対する自己嫌悪ってけっこう大変そう。とにもかくにもカルチャーショックを覚えるすさまじい名作文庫。


弱者の兵法(アスペクト)

著者:野村克也 出版社:アスペクト 発行年:2011年 本体価格:571円
 技術や直感も大事なことは大事。ただし天賦の才能に恵まれていない人間はどうするべきか。野村克也はそれを「考える力」「無形の力」に求める。近代合理性の「懐疑」ということからすれば、おそらく野村克也の野球観は「近代野球」そしてそこに「無形の力」と称する「感性」の世界が加わる。観察して判断して、結果を記憶していくというプロセスは、理科の実験そのものだが、絵画など一流の芸術作品にせっして「感性」をみがくという作業はデカルトにはおそらくないだろう。そしてそれが野球の勝率という目に見えるかたちで具現化していくことも。
 ある意味厳しい倫理観と自己管理能力を選手に課した監督ともいえるが、最初から一流の選手を集めるのではなく、特殊な技能をもつ選手や必ずしも恵まれた野球人生をおくったわけではない選手を、適材適所で活用してきた実績が、ビジネスの場でも応用できると考えられているのではなかろうか。その意味で、何でも出来る選手よりも特殊な長所をもつ選手のほうが使いやすいという言葉は重い。技術力はもちろん磨かなければならないが、特殊技能を磨いてほかの選手と差別化することこそが、生き延びる最大の知恵とも受け取れるし、実際、なんでもできる人間よりも、特殊な方面にほんのわずか差別化していることこそが、自然淘汰のなかで生き残れる条件だろう。努力するのは普通。さらに努力の先に「差別化をいかにしていくか」という戦略が必要だ、ということをこの本から学んだ気がする。

2012年1月30日月曜日

レパントの海戦(新潮社)

著者:塩野七生 出版社:新潮社 発行年:1992年 本体価格:476円
 オスマン=トルコとスペイン、ローマ法王そしてベネチア共和国を主体にした連合軍との戦いで、キリスト教(カソリック)が勝利をおさめた海戦だ。このレパントの戦いでもしオスマン=トルコが勝利していたのであれば、キュプロス島から一気に地中海をトルコは傘下におさめ、地中海沿岸はイスラム色にそまっていた可能性がある。スペインもフランスも神聖ローマ同盟もどうなっていたのかわからない。
 歴史に名を残す海戦ではあるが、著者の視線は商業国家に徹したベネチア共和国に主に注がれ、ローマ法王やフェリペ2世が率いるスペインにはやや厳しい。もっとも世界史の教科書ではレパントの海戦ではフェリペ2世が勝利した、と著述されることが多いのではあるが。16世紀のヨーロッパでは宗教改革による騒乱があいつぎ、フランスはカトリーヌ・メディシスによる宗教騒乱とトルコとの同盟関係、英国はエリザベス1世よりもメアリ=スチュワートを支持する法王との確執、神聖ローマ帝国は国境線とのトルコとの一時和平ということで、実際にオスマン=トルコと戦えたのは、ジェノヴァ共和国、法王、スペイン王国、そしてベネチア共和国といった布陣で、しかもこの同盟軍の仲がまた非常に悪い。その仲の悪さをいかにして克服したのか、というとこの本を読む限りは「偶然」と実力のあるベネチア共和国の参謀の存在といったあたりに落ち着きそうだ。実際にはこのレパントを境に、世界史の舞台は地中海から大西洋へ。ガレー船は帆船へと技術革新していく。そしてベネチア共和国もオスマン=トルコも破滅へむけて緩やかに衰亡していくので、いわば16世紀の主役たちによる最後の晴れ舞台ともいえなくはなさそうだ。主役には一応ベネチア共和国の40代のバルバリーゴ。小説としてもノンフィクションとしても今ひとつ感情移入しにくい構成ではあるのだけれど、ローマ帝国の「その後」とベネチア共和国の最後の「光」を垣間見るものとしては非常に面白い。巻末には地図の折込あり。

スポーツを「視る」技術(講談社)

著者:二宮清純 出版社:講談社 発行年:2002年 本体価格:720円
 新書ブームと言われ続けてきたが、ほんの少しブームも緩和されてきた印象を受ける。新書サイズは読みやすい上に値段も手頃ということで、読者サイドからすると便利な時代だが、それにしてもここ数年は粗製濫造の印象も。ここいらで、一部の名作・佳作と多数の駄作の仕分けが必要なころかもしれない。で、この新書はあまり売れない部類の新書だったらしく、アマゾンで買い求めたにもかかわらず2002年初版のまま。9年以上も倉庫に眠っていたことになるが、それにしては内容は非常に濃い。今から10年も前の内容ではあるが、野茂英雄へのインタビューやエンゼルスの長谷川の分析など、プロ野球を分析する上では非常に興味深い内容。日本のスポーツ界が10年前に何をめざそうとして、そして2012年現在、何が達成できて、何が達成できなかったのが予算実績差異分析も可能となる内容だ。とりわけ著者の明晰かつリリカルな文章が印象的。「スポーツ」という題材で、他のスポーツライターと著者が差別化できている理由。それはおそらく構成の妙もさることながら、抑制の利いた名文が貫かれているせいではなかろうか。

2012年1月29日日曜日

司馬遼太郎全講演 第5巻(朝日新聞出版)

著者:司馬遼太郎 出版社:朝日新聞出版 発行年:2004年 本体価格:660円
 「近代」って、いわゆる「論理性」とか「合理性」のことをさす。もちろん「論理性」というのも実はフィクションで、実際にはそのあとの「ポストモダン」の時代にまできているけれど、それでも「近代」をくぐりぬけないとポストモダンにも到達できない。で、不可思議なことに日本でもまだ原始アニミズムの残滓が社会のあちこちに残っている。「水子の霊」についても、論理的には、そして仏教の教義からしても、「霊」などは存在しないことになる。が、水子供養にはとてつもない数のお参りがあるという。これ…東アジアにも南アジアにも共通してのこる一種の原始アニミズムだけれど、これ、実は自分自身も「頭でわかって」、「心で怖い」。これはもはや近代以前のさらに昔の自分の遺伝子にも関わる恐怖ではないかと思う。この原始的な文化の下地に司馬遼太郎氏は目をむけ、さらに日露戦争までの日本に高い評価をくだす一方で、日露戦争からノモンハン事件、太平洋戦争に至るまでの軍部の行動様式を批判する。自衛隊の講演会などでもそうした言論を展開しているのだから、ある意味ではたいしたものだ。さらには、イデオロギーについても懐疑の目を向け、たとえばそれはマルクスレーニン主義の「不毛さ」や朱子学の「不毛さ」への批判につながる。想像以上に文化の多様性や多義性を重視した小説家であり、だからこそ国民的作家ともたたえられるのだろう。かつては経営者にもてはやされる小説家という、ややレッテルバリ攻撃も受けていたが、この講演録全5巻を読み通してみると、文化や経営問題一般などについても近代合理主義の基盤となる「懐疑」の心を常に失わず接している。「龍馬がいく」などでは、ちょっと伝わりにくい歴史小説家の文明批評がすっきりまとめて読めるうえで貴重な文献。

2012年1月28日土曜日

司馬遼太郎全講演 4(朝日新聞出版)

著者:司馬遼太郎 出版社:朝日新聞出版 発行年:2003年 本体価格:660円
 現在「日本史」という科目は実質的には中学校と高等学校の一部の県を除く歴史科目の選択科目となっている。世界史は必修科目ではあるが、「暗記事項が多い」と受験生にはされており、受験科目として選択される例は意外に少ない。中学校の学習事項をベースに日本史で受験する受験生が多いのには、慣れ親しみやすいという理由が多いと推定される。その意味ではこの「司馬遼太郎全講演」は日本史を選択した受験生にとっても、読書の「効果の発現」が多いに期待できる内容だ。平安時代と鎌倉時代の差や、鎌倉時代の文化や宗教が現在に及ぼしている影響なども考察できる。またいささか複雑怪奇な幕末の歴史を理解するにもメリットがあるだろう(尊皇攘夷だったのに明治政府になると開国路線を進んだ理由などもおぼろげにうかびあがってくる)。明の時代に輸入した品目として書籍や絵画、禅宗などが多いというのも興味深い。江戸時代の商品経済の発達が現在の日本の流通のインフラになっているというのも面白いし、江戸時代に生み出された閉鎖的流通構造を解決するためにはどうしても江戸時代に一部立ち返らなければ解決が難しい問題があるということも、推定がつくようになる。

2012年1月21日土曜日

司馬遼太郎全講演第3巻(朝日新聞出版)

著者:司馬遼太郎 出版社:朝日新聞出版 発行年:2003年 本体価格:660円
 解説は出久根達郎。日露戦争以降の小説がないといわれている司馬遼太郎だが、講演録を読んでいると奈良飛鳥の時代から、あるいは江戸時代や室町時代から「現代日本」をみつめていたことがわかる。平安時代から鎌倉時代の理解が難しい「不連続な部分」~公家の時代から武家の時代へ移動した端境期~も110ページ前後の司馬遼太郎の解説を読むとうっすらと想像がつくようになる。熊本(肥後)、新潟(高岡)、青森(南部)といった地域性の講演からはこの日本という国の多様さがうかびあがり、稲作をベトナムなどと論じるときには関東と関西の稲作の違いが浮かび上がる。そしてガンダーラ美術の由来はインドのゼロの発見とギリシアのアレキサンダーの部下との出会いにあり、現代日本語の共通の基礎に浄瑠璃や義太夫が浮かび上がる。目にみえる今の文化の「由来」「つながり」がこの講演録を通して目の前に浮かび上がるのだから、なるほど、司馬遼太郎氏の講演は、ある意味では小説よりも高い評価を受けるのも無理はない。第3巻では1985年から1988年の4年間の講演録を収録。

2012年1月17日火曜日

決断力(角川書店)

著者:羽生善治 出版社:角川書店 発行年:2005年 本体価格:686円
 ラプラスの魔という言葉がある。ビリヤードの玉突きのように、一番最初の球をついたら、あとは予測可能な範囲で球が動き、最後は予定どおりに目標の球が落ちるというもの。この世界もラプラスの魔にかかると、すべては神によって計画された予定調和的な世界ということになってしまうが、羽生名人はそうしたラプラスの魔ではなく、将棋の駒の動きに決断力を見出す。「定跡」についてもなん百年と続く将棋の歴史の中で生み出されてきた道筋に自分なりのアイデアを付加して、さらに実践で練り上げていくことを要求し、「周りからの信用の後押し」を重視する。言葉にすると抽象的にも思えるが、自分自身がこれまでの「試合」に照らして考えてみると、定跡をふまえつつ、自分の条件(体力がないなど)を加味してプランニングしていったほうが、確かに身のある成果がえられることが多かった。だいたい「負け」になるのは根性論がほとんどである。決断力にさいして選択肢を複数(なるべく多く用意して)、そのなかから定跡と、さらにそれを加味した条件で選択していき、周囲からの後押しをえる。一種の感性の涵養に名人が重点をおくのも最終決断のぎりぎりのところで、勝負師の「感性」(映画や絵画や音楽などで無形に培われた一種の暗黙知)が働くということのようだ。簡潔明瞭な文章してしかも内容は深い。

読書について(岩波書店)

著者:ショウペンハウエル 出版社:岩波書店 発行年:540円 本体価格:540円
 少し前の書店には、どれだけ小さな書店でも岩波文庫は必須アイテムだったような気がする。今はだいたいコミックかゲーム攻略本だが、コミックも最近では需要が減退しているのではなかろうか。岩波文庫の岩波文庫たるゆえんは古書などで市場価格よりも高い値段で買わなくても文庫サイズで新品が購入できるメリットにあると思う。本は一種の消耗品なので一部を除いてはたいてい捨てることになる(学者やジャーナリストなどは覗いてスペースがない)が、内容面は天変地異にあってもなにがしかの影響が身体に蓄積されているはずだ。で、読書についてショウペンハウエルは、学問のあゆみがときには後退的だし、いつの時代にも誤った主張が展開される、など否定的なニュアンスだ。あれ。
 しかし底流に流れる思想は、「選んで読め」「良心のない文筆家のものは読むな」という一種の限定条件であることに気づく。ウェブの時代であっても実は玉石混交で電子商取引のコメントも、実はあてにならない(実際にはほとんどやらせだろう、とひそかに思ってる)。新刊ばっかりに目をむけるなというショウペンハウエルの考え方(43ページ)、今の時代にも通じるなあ。あ、この本別にドイツ哲学についてあれこれっていうわけではない。しかしヘーゲルに人気をうばわれたショウペンハウエル、とおろどころにヘーゲルに対する敵意がちらついていて興味深い(142ページ)。

2012年1月16日月曜日

北朝鮮大脱出(新潮社)

著者:宮崎俊輔 出版社:新潮社 発行年:2000年 本体価格:505円
 風邪でゴホゴホ言いながらも、興味深さで一気に読み終わってしまった本。在日朝鮮人と父親と日本人の母親をもつ著者は、1950年代から1984年まで続いた「帰国事業」にともない、品川駅から新潟を経由して北朝鮮に「帰国」する。この間、約10万人の朝鮮人と約2000人の日本人妻が北朝鮮にわたるが、「地上の楽園」として宣伝されていた北朝鮮はスパイが跳梁跋扈し、物資も不足しているとんでもない社会だった。
 北朝鮮の「とんでもなさ」は、端的にいえば「物資が不足している社会」だが、物資が不足している結果として党本部や軍人などの「上位階級」による「ピンハネ」がある。さらに相互監視による「追い落とし」。組織生活と机上の空論による「計画栽培」で農業の生産力はどんどん落ち、しかも組織の上位者は結果責任を追わずに済む構図。で、意外にも統制の目からこぼれおちる存在というのもあるらしく、それはたとえば「乞食」などの存在が描写されている(著者の家族も「乞食」となる)。最終章は中国にわたってから日本に亡命するまでの一連の流れだが、ここらへんはまあ、立場によっても時代によってもいろいろな見解もでてくるだろう。が、興味深いのはやはり北朝鮮の労働の風景や農村の奇妙な統制社会と計画経済。そして「核心階層」「基本階層」とよばれる一種のエリート家系の存在だ。マルクスやレーニンが家庭を「階層」や「成分」に分けたことはないはずだが、東南アジア特有の儒教社会と西欧の共産主義が結びつくとこれほどまでに異形の社会が出来上がるのかと、やや怖い思いがする。

2012年1月14日土曜日

一流の条件(朝日新聞出版)

著者:野村克也 出版社:朝日新聞出版 発行年:2010年 本体価格:580円
 一種の「復刻版」だが、広岡元ヤクルト監督や落合元中日監督との対談などが収録されており、非常に貴重。現役のキャッチャーとしても功績を多々残した野村監督だが、鶴岡元南海監督との確執がさりげない一言にあったというのも感慨深い。人間の行動についても(34ページ)、がむしゃらな行動、余裕のある行動、行動のなかの余裕と3段階に分類してあり、単に「余裕がある行動」だけではプロフェッショナルとして通用するレベルではないことが指摘されている。また「限界」という言葉も「全知全能を傾注した努力+その積み重ね+2年間結果でず」というタイトな条件だが、南海の監督を解任されたあと、ロッテと西武で現役キャッチャーを続行した著者だからこそ説得力がある。現在、元ヤクルトの高津なども現役続行をぎりぎりまで続けているが、これは野村監督の影響が非常に大きかったのではなかろうか。けっしてアーチストの世界ではない。「職人」として、一定のレベルをみすえる「一流の条件」がこの本には示されている。

2012年1月12日木曜日

司馬遼太郎全講演2(朝日新聞出版)

著者:司馬遼太郎 出版社:朝日新聞出版 発行年:2003年 本体価格:660円
 消費税の増税はどうにも不可避で(民主党政権の動向からすると)、そうすると増税前の「駆け込み需要」がありうるかもしれない。書籍の多くは「本体価格+税」と表記されているので、定価の計算で混乱することは少なそうだが、では増税前に不動産を購入するのと書籍を大量に購入するのとではどちらがお得か?土地や建物といった不動産であっても天災などで価値が下落することもありうるが、読書でえた有形無形の知識や一般教養はたとえば書籍そのものがどこかに紛失しても自分の頭のなかに生き残る。少々消費税があがっても買うならやはり本。ということでこの司馬遼太郎の講演録の第2巻もまた非常に面白い。日本語の文体を生み出した夏目漱石や正岡子規といった文人の考察や昭和30年代の週刊誌の影響などの分析が興味深いほか、モンゴル遊牧民などに「遊牧」のノウハウをつたえたであろうイラン系と推定されるスキタイなど農耕文化と狩猟文化の二次元対比しかできない日本人の「私」からすると、司馬遼太郎の文化分析は「自由闊達」。これまでどうして読まなかったのだろう、と考えてみると「司馬遼太郎ってのはおっさんが読むもの」(いやそれ私もおっさんではあるけれど)と決めつけていて、本屋で実際に買って読もうとはしていなかったから。いや、「食わずぎらい」は良くない。

2012年1月10日火曜日

司馬遼太郎全講演[1]

著者:司馬遼太郎 出版社:朝日新聞出版社 発行年:2003年 本体価格:660円
 「龍馬がいく」なども読んだが小説などは今ひとつ好きになれなかった司馬遼太郎。ただし、この講演録の第1巻は1ページから最終ページまで一気に読み通したくなる面白さ。1964年7月から1974年9月までの司馬遼太郎の講演がおさめられ、法然と親鸞、歴史小説家の視点など40歳当時の司馬遼太郎氏の小説や歴史に対する考え方が明らかにされている。なにせ司馬遼太郎氏は36歳で産経新聞大阪文化部長に就任したほどの切れ者。1964年ではまだ40歳だったが、浄土真宗や浄土宗について堂々とした講演を展開している。物事の原型に着目し、「禅は危険だ」と警告し、中国、朝鮮半島、日本の文化と文明の違いについて論じ、退屈だった「日本史」や「世界史」のかつての授業が嘘のようにつながってみえてくる。大学受験を控えた受験生にとっても、断片化した知識をデフラグするのに本書は役に立つだろう。特に貨幣経済、商品経済については室町時代に芽がめばえ、江戸時代に日本本州に根付いたとする説明を基盤にして大阪論を上乗せしていく構図が見事。

量刑相場(幻冬舎)

著者:森炎 出版社:幻冬舎 発行年:2011年 本体価格:780円
 最近、法律系新書としては、非常にユニークな新刊が相次いでいる幻冬舎の書籍。まえがきでは刑事裁判の判決の暗黙のルールが紹介されており、全国どこでも一定程度の量刑が要求されることを考慮すれば妥当な考え方を学ぶことができる。その後罪状に応じた「量刑相場」が紹介されていくが、第二部の「重大事件の量刑相場」が興味深い。いわゆる「衝動的殺人」の要件や標準的な量刑(懲役13年~14年)が紹介されているが、被害者に落ち度がある場合の殺人などと比較すると、一気に懲役年数があがる。またいわゆる「ゴウサツ」(強盗殺人事件)となるとさらに「量刑相場」があがり、刑法では死刑または無期懲役しかない。酌量減刑で多少懲役15年などに軽減されることもあるようだが、前橋地裁平成10年の判決では、「万引き」が発覚し、警察官に道をふさがれた18歳の少年が警察官を刺した事件では、懲役25年となっている。「万引き」が発覚したら逃げたり、さらには店員さんに傷などを負わせたら、「強盗殺人」ってことになってしまい、18歳で刑に服すると出てくるのは43歳前後。人生が終了する。強盗殺人でも前科なしで死刑判決となったのは数えるしかないというが、意外に軽犯罪と抱き合わせで強盗殺人になってしまうケースは今後も起こりうる。オヤジがりなどの強盗致傷では懲役7年程度。前科がない少年たちによるおやじがりで、逮捕された21歳の若者が懲役7年の判決をくらっている(神戸地裁)。実際の事件の例などもあり非常に興味深い事例がてんこもりだが、巻末で著者も断っているように現在は厳罰化の傾向が著しい。裁判員の「市民感覚」が導入された結果、当初の予定とはうらはらに死刑を含む重い刑罰が言い渡されるようになったのは、これまた興味深い現象だ。ただ法令遵守の時代を迎え、軽犯罪といえども重い刑罰が法律の枠内で言い渡されるようになったのは、ある意味当然の結果かもしれない。今後の改訂版なども含め、統計資料としても有用になるであろう新書だ。

2012年1月8日日曜日

シャドー81(早川書房)

著者:ルシアン・ネイハム 出版社:早川書房 発行年:2008年 本体価格:1,050円
 中学生の頃に一度読んだ記憶がある本だが、あらためて読み直し。昔は新潮社から文庫本が出版されていたが、版権移動で早川書房から現在刊行。ベトナム戦争の末期となり、戦争の現実と軍隊の組織形態に疑問をもつグラント大尉が途中まで主人公。いきなり空中飛行やら爆撃といった子供だましではなく、いかにして最新鋭の戦闘機を「目的地」まで移動させるかといったディテールに著述の大半があてられる。技術論としたらもうこのシャドー81が前提としていた技術水準を現在ははるかに超えているはずだが、それでもなお読み継がれているのは、「なぜこの結果にいたったのか」が時代設定とともにいまなお説得力を持つからではないか。人間はなんらかの組織に所属して生きているが、ある時点で別の組織もしくは行動原理に身を委ねるとした場合、どうやって「転機」を切り開くべきか、がよくわかる本。このハイテク・サスペンス小説は、別の視点からすると壮大な「転職物語」とも読み捉えることができそう。

2012年1月7日土曜日

百万ドルをとり返せ!(新潮社)

著者:ジェフリー・アーチャー 出版社:新潮社 発行年:1977年 本体価格:705円
 なんといっても平成23年2月15日で73刷改版である。おそらく「版」をかえるさいに、内容面はそのままで活字を大きくしたのではないかと思う。1977年に文庫初版がでたわりには、文字が大きくて行間があいていて読みやすい。文庫本に関しては必ずしも昔の本のほうが「希少」っていうことではないように思う。おそらくサウスバブルシー事件をネタにして、北海油田にまつわる実態がほぼない株式会社を設立。それに払込金を募集して株価があがったところで売却。それで被害をこうむった投資家たちは復讐にでる、という寸法。通常のコンゲームだったらそれで終了しそうだが、この作品の場合には最後の最後まで「ドンデン」が用意されておりなかなか。ただ例にもれず携帯電話やスマートフォンがこれだけ普及してしまうと、やはり小説のようにはいかないかも、とも思う。英国にわたったアメリカ人の眼の付け所や文化の差なども興味深い。

2012年1月5日木曜日

カリブ海の楽園(潮出版社)

著者:高橋幸春 出版社:潮出版社 発行年:1987年 本体価格:1200円
 高校時代には同じ島であるけれどハイチ共和国はフランスから独立して、ドミニカ共和国はスペインから独立した、っていうのを無理やり覚えていた記憶がある。それはそれなりに理由があり、この本を読むといかにこの「島」が土地に農業生産性がなく、漁業も海底が深いため地引網などが使えないことから難しい土地柄であったことかがわかる。そして戦後まもない日本では海外からの復員組が一気に帰国し、食糧不足に陥っていたため、海外移民が危急のテーマだったというのが、この本に描かれていた悲劇を生む。行政手続法などで法整備がなされている現在では、国と民間の関係も「おいこら」ではすまない面が多々あるが、当時はまだ大日本帝国の時代の雰囲気をひきずっていたころ。形式的な農業調査で移民を送り出したあとのフォローアップがほとんどなされないまま30年間が過ぎる。巻末資料に「ドミニカ国ダハボン地区移住者募集要綱」が掲載されているが、当時の日本でこれが資料として提示されたら、ドミニカへの移民を決意した農民が多々いても不思議ではない。埋もれていた名作ルポだが、講談社あたりで文庫化して、もう少し多くの人に読んでもらえる方策はないものか。同時期にブラジルに移民した人たちの動機や時代性などを窺い知る資料にもなりうる。

できるかなクアトロ(角川書店)

著者:西原理恵子 出版社:角川書店 発行年:2010年 本体価格:705円
 賭け事にはあまり興味がない私が「まあじゃん」に興味をもったのは西原理恵子の「まあじゃん放浪記」を読んだから。で、それをきっかけに「ゆんぼくん」「晴れた日は学校を休んで」などほとんど全部の著作物を読んでいるが、旦那さんと離婚し、その旦那さんがガンで倒れてからはちょっと辛くなって西原ワールドから離れていた。で、この「できるかなクアトロ」。もともといろいろな世界に飛び込んで異次元の体験を読者にレポートするという企画だが、インドのヒジュラとよばれる男性の同性愛者の家に寝泊りしたり、高須クリニックのフィリピンでの手術に立ち会ったり、意味もなくポルトガルでタトゥー(の真似事)をしたりといった体験の連続。現在、ポルトガル経済はイタリア、ギリシアなどと並んで危機に瀕しているというが、この本読んで「ん=なるほど」と納得してしまった。どこへ行くのか、あるいはこの本全体を通してのテーマとは何かといった話はほとんど無意味で、はちゃめちゃな色使いの絵柄が展開していくのだが、それがまた西原りえぞうの魅力。どこにも着地点がなく、さらには時系列の作品掲載というわけでもないあたりが、逆に面白い。文庫本サイズ194ページにしてはやや割高ではあるが、4色なのでやむをえず。

2012年1月4日水曜日

兎の眼(角川書店)

著者:灰谷健次郎 出版社:角川書店 発行年:1974年 本体価格:571円
 もともとは理論社から単行本として出版され、その後新潮社から文庫本として出版されていた。その後角川文庫に収録されたのは、とある事件とその報道をめぐって著者と新潮社の経営陣のある方とが対立し、版権引き上げにいたったためである。児童文学の大家とされていたが、この「兎の眼」は、児童文学というよりも「文学」として際立つものがある。一応、教育問題らしきテーマや労働問題らしきテーマも散見されるのであるが、主人公の22歳の「先生」は家庭内に問題を抱えているし、ラストは「希望」に一応満ち溢れてはいるけれど、確定した「未来像」というわけでもない。問題は山積みではあるのだけれど、それを一直線に切り開いてみせる手法が見事。一応「悪役」めいた存在もあるものの「絶対的な悪」という描写でもなく、21世紀の社会人が読んでもそのたびごとに鮮烈な関西の「街」のイメージを思い浮かべることができる。

失踪日記(イーストプレス)

著者:吾妻ひでお 出版社:イーストプレス 発行年:2005年 本体価格:1140円 評価:☆☆☆☆☆
 1989年から物語が始まる。著者は漫画の仕事を突然放り出し、いきなり「失踪生活」へ。山の中で自殺を図るがかなわず、野宿生活を始める。で、その野宿生活がけっこう細密に描写されているのだが、これがけっこうなサバイバル生活。読者からすると、こういう生活だったら元の漫画家生活に戻ればいいのではないか、とも思うが、こればかりは本人でないとわからない動機付けがあったのだろう。何度か失踪生活を繰り返すたび、あるときには配管工として社内報に漫画を掲載するまでにいたる。さらにその後はアルコール中毒にかかり病院に強制入院へ。絵がわりとホンワカしているのだが、シチュエーションの書き込みは細密。逆説的ではあるけれど、こういう本を読むとかえって生きるエネルギーみたいなものがわいてくるから不可思議。

狂った裁判官(幻冬舎)

著者:井上薫 出版社:幻冬舎 発行年:2007年 本体価格:720円
 タイトルはいささか過激だが、裁判官の「給与体系」や標準的な勤務時間、さらに人事査定の内情などがうかがえる興味深い内容となっている。著者は理学部卒業で裁判官に任官したというやや変わり者で、判決の「理由」欄に余計なコメントは必要なく、裁判員制度についても批判的なスタンスをとる。ある意味では合理主義ともいえるが、これについては別の見方もできそう。主文とそれ以外の理由については簡潔明瞭に書くというスタンスも当然ありうるが、それ以外に「いかにして主文にあるような結論にたどりついたか」という理由以外に情報提供機能というのもあってもよい。判例についてはもちろんほかの裁判官の1級資料ともなりうるが、それとて絶対的なものではないので、短く簡潔明瞭な判決文がそれだけでベストとも言い切れない気もする。また裁判員制度についても、いろいろな考え方はあろうが、ひとつの社会制度の実験としては比較的うまく機能しているのではないかと個人的には考えている。ともあれ、判決よりも和解を好む理由や、審理期日をなんども重ねる理由もなんとなく理解できる内容となっている。司法制度に批判的な側面はまた読者それぞれの考え方にもよろうが、漫画「家裁の人」とは別個に裁判所の裁判官の標準モデルを描写するには悪くない本だ。

2012年1月3日火曜日

日本人ごっこ(文藝春秋)

著者:吉岡忍 出版社:文藝春秋 発行年:1989年 本体価格:420円
 1980年代のタイ。当時14歳のタイの少女が「自称日本人」として大学などに出入りし、大学生などから面倒をみてもらっているのが発覚。ただし被害とよばれるほどの被害はなく、少女は警察からも解放された。著者はとあるきっかけでその事件(?)を知り、行方不明の少女をタイで追う。「これがベトナムの少女」や「アメリカの少女」ではなく、なぜ「日本の」少女を詐称したのか?そしてその理由は跡をおう過程でじょじょにうきぼりになってくる。このルポが書かれてからすでに15年以上がすぎており、昨年の洪水によってタイの日本工場が稼働できないため、日本製品の製造にも大きな支障が生じるまでにもなった。また敬虔な仏教徒が多いタイであっても、都会の家族では老人介護もおざなりになっているという報道も一部ある。ルポの文庫本であるため地図などは付属していないが、著者独特の「象のような」国のかたちを想像しながら、この本を読むと、どういうルートで著者が取材を続けていったのかが頭の中に描けるようになっている。イキイキとした文章表現とルポの構成にひかれて、ちょっとページを読み始めると最後まで読みきってしまう。そして当時と現在とを比較しても、あまり根底の部分では大きな差異は生じていないとも実感する。

2012年1月1日日曜日

絵はがきにされた少年(集英社)

著者:藤原章生 出版社:集英社 発行年:2005年 本体価格:1600円
 毎日新聞の記者によるアフリカの等身大のルポタージュ。肩に力が入りすぎたり、あるいは逆にイデオロギッシュに偏りすぎるアフリカルポは数あれど、その土地に実際に密着して「等身大」の取材をして、さらにそれをすんなりやわらかくまとめたルポはこれが初めてではないか。南アフリカ共和国、アンゴラ、ルワンダといった国を中心に、その土地で生活をすることはどういうことなのか。またアフリカーナとよばれる白人先住民の意識はオランダやポルトガルではなくアフリカ人になっているという意識を浮き彫りにしてくれる。表題の「絵はがきになった少年」とは、レソトの老人が少年のころクリケットをしている様子が写真にとられ、本人が気がつかないうちに絵はがきにされていたというエピソード。ジャーナリスティックな盛り上がりは何もないが、その「何もなさ」が逆にアフリカに対する日本人の「問題」「視点の画一化」を際立たせる。ステレオタイプのアフリカ問題ではなく、地に足のついたアフリカ問題を考えるのは、この日本からでは難しい。ただし不自然にテーマ性がうちだされた記事よりも、淡々と著述されるこの本のようなルポのほうが、おそらく現実味のある問題意識を持つことができるだろう。一応アパルトヘイトやそれにまつわる銃撃事件、さらには差別問題なども扱われている。扱われているが、生活を一緒にしていくうえで何が不都合なのだろう…という著者のボトムアップの問題提起が好ましい。

老人と海(新潮社)

著者:ヘミングウェイ 出版社:新潮社 発行年:1976年 本体価格:400円
 硬くなるまでゆでた「ゆで卵」のように、登場人物の心情やら感情やらは描写されずただただひたすらに行動のみが描写されている小説。それがハードボイルドだが、この「老人と海」もやたらに老人の心中が描写されるよりも、端的に朝起きてから4日後に眠るまでの行動がハードボイルドに描かれるからこそ名作たりえたのだろう。学生時代に「文学入門」(岩波新書)の巻末に掲載されている世界名作50作品をひたすら読み込もうとしている時期があった。当時はヘミングウェイも一応読んでおこうか…という程度だったが、あれから月日が過ぎてもう一度手にとってみると、老人が一人海にでてカジキマグロと格闘することにエネルギーを費やす姿にあらためて感銘を受ける。ま、エネルギーを燃焼させてその姿を次世代に承継してもらうという一連の「出来事」そのものが、一つのドラマになりうる…というのは昔の自分では想像もできなかった。が、たとえば現代日本で考えれば意図せずリストラされて不遇にあるビジネスパーソンがなにかの拍子にムダ骨となってもビッグプロジェクトに取り組む…というのと構図的には似ていると思う。その取り組む姿がたとえばアナクロであってもきっと世界はその姿そのものを取り込んでいくであろう…てな気がする。空間的世界を重視するアメリカ文学では当時あったのかもしれないが、その小説は時空をこえて日本で読み継がれた場合には、時間軸の中にさらに取り込まれていくということもある。こうしてみると文学でいう名作とは、時空間をこえて読み直され感情軸の中の歴史に何度も何度も刻みなおされていく作品なのだな、と感じる。

人事部は見ている。(日本経済新聞社)

著者:楠木新 出版社:日本経済新聞社 発行年:2011年 本体価格:850円
 今も昔も隠然たる力があるようにみられている人事部もしくは労務部などであるが、実際の人材育成や管理はそれぞれの事業体にあることが多く、人事評価も必ずしも公正妥当なものではないことがわかる。よく会社のOBやOGなどにあっても意外に会わないのが人事部や総務部にいた…というような人で定年退職後の身の振り方っていまひとつわからない。どこぞの子会社などへ出向してそのまま定年退職という道筋かもしれないが、あまり人事部などは気にせず自分なりのモチベーション管理をしっかりやっておくことが大事なのでは…というような結論が導き出される。一つ興味深いのは直属の上司がどれだけあれこれいっても第三者の部署にはある程度真実がみとおせるということ。人事部は見ているのだがかならずしも直属の上司の言い分ばかりを鵜呑みにしているわけでもなさそう。