2011年9月30日金曜日

オレたち花のバブル組(文藝春秋)

著者:池井戸潤 出版社:文藝春秋 発行年:2010年(文庫版) 本体価格:657円(文庫版)
タイトルはなんだか「マハラジャ」しているのだが、ストーリーの展開は「失われた10年」(いや20年?)そのもの。前作で同一資本の大企業相手専門の本店第二営業部次長におさまった半沢だが、経営危機に陥った伊勢島ホテルを担当することになる。金融庁の検査も控え、トラブルを避けたいところだったが、前任の京橋支店をめぐりきなくさい動きが…。通常のビジネスパーソンではとりえないような迫真の「反骨精神」を主人公は粘り腰でみせていく。「失われた10年」を取り戻そうかというその動きは時には「倫理」「法律の規定」といったものも侵食しかねないような…。同期がすでに片道出向を歩み始めた世代で、同期入社がスクラムを組んで大銀行を舞台にして立ち回る。ま、一歩間違えば「学閥」にもなりかねないのだがそこはまあ置いといて。企業を生き残らせるためにあれこれ手を尽くす伊勢島ホテルのオーナーの決断がいかにも経営者の生き様らしい。脇役ではあるものの、本来社会的にあるべき経営者とは、ケースバイケースで状況に応じて柔軟かつ豪腕な意思決定をくだせる人間ではないかと感じる。

2011年9月29日木曜日

警官の条件(新潮社)

著者:佐々木譲 出版社:新潮社 発行年:2011年 本体価格:1900円
とにかく分厚い四六判の単行本だが、長いには長いなりの必然性がある。組織犯罪に独自の流儀で立ち向かう加賀谷刑事の違法すれすれの捜査と逮捕から物語が始まる。が、これは序曲で、その部下で上司の内偵をうけおっていた安城和也が実際の主人公となる。「警視庁」には三代目として入庁し、32歳で警部。そして組織犯罪にたちむかう刑事となるが、殉職した自分の父親とはまだ相容れないものを感じている。「行き場のない迷路」に入り込んだ主人公を出口へといざなうのは実際には、「転落した刑事」であるはずの加賀谷だった…という構図。いわば「スター・ウォーズ」でいえばダース・ベイダーとオビワンが同一人物に集結したのが加賀谷刑事といえるだろうか。ラストはもちろん「実質的には」ハッピーエンドで、ラストにいたって主人公は一人の成熟した警察官となる。ただし大きな犠牲を払いつつ。
警察内部の人間に丹念に取材しつつ、さらに想像力で不足した部分を補いリアリティも満載。2009~2010年ごろの薬物犯罪の検挙動向などもふんだんに物語に取り込まれている。警察もののミステリーもついにここまできたのか…という感慨も。

2011年9月28日水曜日

オレたちバブル入行組(文藝春秋)

著者:池井戸潤 出版社:文藝春秋 発行年:2007年(文庫版) 本体価格:657円(文庫版)
1980年代にKO大学から産業中央銀行に入行した4人組。時間は流れてバブルは崩壊し、入行した銀行も合併。さらには当初の夢もやぶれてそれぞれは若いときとは違う部署に配属されていた。そんなおり大阪の支店で融資課長とつとめていた半沢は貸付先の倒産により約5億円の債権回収を余儀なくされる…。かつてはわりと安定していた銀行だったが現在は統廃合や業務停止などもわりと耳にする金融機関。80年代と2000年代の20年間の時代の「違い」が如実に描かれている。全員が全員というわけではないがバブル時代の入行組のかなりの部分が片道出向や中途退職で夢破れ始めた時期を舞台にしている。物語の進行は「日常世界」⇒「危機の接近」(貸し倒れ)⇒「危機へのためらい」⇒「賢者との出会い」(同期との対話)⇒「仲間と敵」(支店長と同期)⇒…とジェームズ・キャンベルの「神話の法則」をなぞった展開へ。「鋼鉄の組織」のなかで主人公は孤軍奮闘するわけだが、実際にはここまで言っちゃう人間はいないのではないかと思う。ま、それがこの本の醍醐味かとも。直木賞受賞効果か2007年に発売されたこの文庫本も2011年版で第8刷。力のある作家の文庫本はいったん書店の棚から下げられてもまた平積みだ。

2011年9月26日月曜日

日本人はなぜ日本のことを知らないか(PHP研究所)

著者:竹田恒泰 出版社:PHP研究所 発行年:2011年 本体価格:720円
日本に誇りのもてる日本の若人の育成を…というのが著者の主張だ。「日本書紀」の神話的要素については従来検定教科書では一部を除いて扱いが少なかったが、これをより多く著述するべきという立場に著者はたつ。「神話」というものについては、いろいろな考え方があるが、「物語の構造」や「神話の構造」となると、実は39ぐらいのプロットにまとめられる…という分析がある。「日本書紀」のエピソードも環太平洋地域に伝わる一連の神話との共通性などを比較検討するといろいろ面白い「構図」が浮かび上がってくると思われるが、そのためにはまず「日本」の「神話」を最低限知っておかなくてはならない。その点では種々の見解があるなかで、「神話」重視の検定教科書が一つや二つはあってもおかしくはない。ただし、それをすべての地域のすべての国民に…となるとやや疑問符がつく。「日本」という国名は聖徳太子の時代以後に文書にみえかくれする(607年)が、現在の「日本」と当時の「日本」とでは意味合いがかなり異なる。北の北海道のアイヌ民族や南の琉球民族はまた大和民族とは異なる神話をもつ。そうした神話も含めて教える…という立場の検定教科書もまた必要になるのではないかという疑問。また、自国に対する尊敬の念と「歴史教育」は必ずしもリンクしていないのではないかという疑問が当然でてくる。
「ロビン・フッド」(リドリー・スコット監督)という映画をみると如実に感じることだが、歴史的経緯からして、「イングランド」が国民国家としての意識をもつのは100年戦争が継続する後の時代で11世紀~12世紀ではイングランドも「フランス」も国民国家の意識はなく、せいぜい海峡をへだてた豪族同士の争いといった感じだろうか。フランスのフィリップ2世がイングランドに攻めてくるあたりがこの映画の佳境なのだが、実際にはジョン王が「負けた」のはフランス領土内に所有していた自分自身の領土であってグレートブリテン島の領土を維持しようとするものではない。が、そうした歴史的経緯を無視してでもこの映画はハリウッド映画として成立してしまうところをみると(またこの映画に限定されないのだが)、欧米で歴史教育が建国の歴史を含めておこなわれているという前提は非常に怪しい。にもかかわらず欧米の「国家」を意識した愛国心は確かに強いのだから、神話というジャンルに足を踏み入れなくても十分、「国に対する尊厳」が育成できるはず。「歴史教育」と「国家意識」とはまた同じ人間の中では違う回路になっていると考えたほうが良さそうだ。また現在では「世界史」は必修ではあるのだが、記憶量が非常に多いため受験科目として選択される割合は低く、実際には日本史を受験科目として選択する受験生が多い。といって世界史や地理を選択した受験生よりも日本史選択の学生のほうが「愛国的」だという統計的な証拠は何もない。またまた複雑な経緯をへて建国に到った東南アジア諸国や、英国連邦のオーストラリアはどうかというと神話的要素はない。

そろそろ認識をあらためるべきは①教科書には国民もしくは一般市民を教化するほどの力はない②歴史教育と歴史観と国家意識は別のものということではないか。日教組の先生が教える「自虐的歴史」の授業を聞き流して授業すっとばして暴走族になって日章旗を掲げる…という図式が70年代で、自虐的歴史(?)に洗脳されるよりもなによりもまず「学校」という枠組みにそもそも学生がおさまりきれていなかったのが実態ではないかと思う。それとは別個に受験勉強にまい進する学生は教科書などは読まず学校採用の検定教科書ではなくてY川出版社の検定教科書を独自に購入して用語集とあわせて受験勉強していた…となれば、やはり「神話」も「自虐史観」もどちらも入り込む余地がない。想像以上に実際には教科書の著述は影響力はない…と考えるのが妥当ではないかと思う。 

その数学が戦略を決める(文藝春秋)

著者:イアン・エアーズ 出版社:文藝春秋 発行年:2007年(単行本) 本体価格:1714円(単行本)
昨年には文庫本化されている。文芸モノの老舗の出版社だが、海外ミステリーの邦訳やこの本をはじめとした理数系の書籍の邦訳も近年水準がアップ。だいたい文芸春秋が刊行した海外ミステリや科学の書籍であればはずれは少ない。この本も、正規分布と無作為抽出を日本の柱にして、政府の公共支出や野球、電子商取引といったテーマとその根底にひそむ「人種差別」や個人情報保護などの問題を取り扱う。正規分布などはエクセルですぐに計算できるが、標準偏差をいかに実践的に日常生活で使うかといったテーマで語られたのはこの本が初めてのような気がする。これまで統計学と日常生活の「平均」「確率」とはそれぞれ別個に議論されてきたが、ちょうど日常生活から正規分布や無作為抽出の世界へ「ジャンプ」するのに、この本の著述内容は手ごろな難易度。文庫本化でさらに読者が増えそうな予感。

2011年9月24日土曜日

「おじさん」的思考(角川書店)

著者:内田樹 出版社:角川書店 発行年:2011年 本体価格:552円 評価:☆☆☆☆☆
イデオロギーでがっちがちに固まった人とか、原理原則でルールどおりにコトが運ばないとイラツク人って実は非常に固苦しい。「原理あってこその社会」と主張する方もいらっしゃるのだが、「例外あっての原理では」という反論にはあまり耳をかたむけていただけない。思想界でもそういう人が多数派で「私は…と思う。ゆえに…である」といった断定調が多い中、内田樹の主張はきわめて穏当でしかも柔軟。「おじさん」というか「おとな」というか、ある程度マルキシズムやらナショナリズムやらの固さをまのあたりにしてきた分だけ許容範囲が広いと思う。で、許容範囲もしくは視野角が広い人のエッセイというのは読んでいて楽しい。確実性は確かに大事だが「偶然」もまた大事(92ページ)で、「お先にどうぞ」が倫理の真骨頂(94ページ)など日常生活もしくはこれまでの自分自身の人生経験からも「なるほどね」と首肯しうる内容。上から目線で難解なことをいわれるよりも、横から目線で酒をくみかわしながら「倫理ってこういうことでしょ」という会話ができるような気がする。あ、もちろん「お先にどうぞ」というのは、女性が通るのでドアをあらかじめ開けるとかそうしたレベルのエセエシックスのことではなくて、この船に乗らないと死んでしまう…という「タイタニック」のディカプリオのような状態にあるときに、「お先にどうぞ」の精神で大西洋の底に沈んでいけるかどうか…というレベルの話。イデオロギーの時代を柔軟にかけぬけることに成功した「おじさん」の叡智がつまっているエッセイ集。

2011年9月21日水曜日

「思考の老化」をどう防ぐか(PHP研究所)

著者:和田秀樹 出版社:PHP研究所 発行年:2011年 本体価格:720円
「思考の老化」が招くもの、といえば短絡的な意思決定や感情的な意思決定、短気、かんしゃく…といった例が思いつく。また、さしたる根拠もないのに「断言」するという老人が多いわけだが、そうした「老化」を防止するのには前頭葉が大事…というのが、著者の主張だ。この前頭葉が老化を防止するだけでなく、発達も期待できる…というのが興味深い(75ページ)。防止方法にはいろいろあるが、個人的に興味深いのは、「ブツブツ言うより考えろ」という思考方法。不満足や不如意は常に存在するわけだが、それを逆手にとって「打開策」をみつける…というのはけっこう高度な技だ。それがまた前頭葉を刺激するのであれば、一石二鳥ではないかと思う。
ただ、残念なのはすでに「意欲が減退」しきっちゃった人間は、まず本屋にも行かないし、ウェブを閲覧する回数も少ない。したがって「思考の老化」について考えをめぐらすということもないので、前頭葉は放置されっぱなしということになる。また意欲そのものがないので「試行錯誤」そのものを最初から嫌がってしまうのではないか…との予測が成り立つ。早い人だと30代前半で「自分の人生こんなもの」と割り切っちゃう人、けっこう覆いのだけれど、ある程度見苦しくても、できるだけ長く「前頭葉」を活性化している人、60歳になっても70歳になっても人生の楽しみ方を多数覚えて実りある老後になるのではないかと考える。

2011年9月20日火曜日

ファントム・ピークス(角川書店)

著者:北林一光 出版社:角川書店 発行年:2010年 本体価格:629円
文庫が発行されたのが2010年だが、2011年9月現在、各書店に平積みになっているのがこの本。著者は映像ディレクターから長野にUターンして執筆作業にはいった北林一光。ただし2006年に癌で45歳でお亡くなりになっている。解説は映画監督の黒沢清氏という豪華さ。物語は自然豊かな安曇野の山奥で始まる。あまりに静かに始まるが、次第に物語は血なまぐさくなり、そして最後は阿鼻叫喚の地獄絵図に。物語の盛り上げ方はどことなく「ジェラシック・パーク」に似ているものも感じる。主人公は「それ」に愛する妻を殺害されてその理由と事情を知りたいがまま、故郷でもない安曇野にとどまりつづける。もうこの世にはいない妻の面影をおいつつ長野の山奥で工事作業にいそしむ主人公のわびしさとラストに橋の上で「それ」と対決する落差がすさまじい。

下流志向(講談社)

著者:内田樹 出版社:講談社 発行年:2009年(文庫版) 本体価格:524円
文庫本も書店では入れ替わりの激しい商品だが、内田樹の文庫本はむしろ平積みになっている本がじょじょに増えていっているような気がする。「下流志向」は、ニート問題が議論された2009年に文庫版が発刊されているが、この本で指摘されている「子供が消費者として育成されている」という指摘は鋭い。塾であれ、コンビニエンスストアであれ、子供はいきなり「消費者」として社会とかかわり、機械装置で電子化された家庭では「家内労働」がないので「労働者」として育成される場面が減少してくる。そうした子供が大人となり、いきなり「消費者」から「労働者」になるといっても確かに切り替えが難しい。お金はある意味では贈与者の属性を問わないので、違法でなければ、誰が差し出しても100円は100円で500円は500円。それが小学生であっても社会人であっても貨幣購買力には差異はない。消費者教育も一部導入されつつあるが、「労働者教育」っていうのは…。労働はアル意味では環境に応じて変化を余儀なくされる部分があるが消費者にはそれもない。金銭には時間という概念がないか、あっても貯蓄か消費かという選択になる。「下流志向」は、消費者として育成された「子供」が、さらには、教育をも消費としてとらえて、義務教育を受けるという楽しくないサービスに対して「不快感」で対価を支払うという構図であると著者は指摘する。教育は大事で、それは最初からシラバスなどで計画化できない部分はあるのだけれど、そうしたシラバスなどもアメリカの市場原理主義が導入されてきた結果だと著者は指摘。教育を「サービス」として割り切ってしまえば、それはそれで一つのあり方ではないかと個人的には思ってしまうが、著者は教育は市場原理では割り切れないという立場を崩さない。

「下流志向」の要因は「文化的なもの」「教育」に拒否感を示す「下位」の子供はさらに「下流」をめざすことで下流の承認を受ける構図にあるという。これって確かにあるようだ。昔でいえば、「悪」を標榜することで、逆に「ワル」の承認を受けるという構図か。ただし、現在ではそうした「ワル」とは別個に文化的教育や知識やリベラル・アーツを重視する「上位」の家庭も一定の割合存在しており、そうした上位層と下位層との分化が始まっているのだとすれば問題は今後10年、20年にわたって大きく表面化してくることになる。授業中、下流志向で一般教養を軽視していた層がその後大人になって「上位層」で固められた大企業や官庁などにまじって労働者として働くということは確かにありえないと思う。今は、ある意味では日本がフランスもしくはアメリカのような階級分化社会に渡る過渡期にあるのかもしれない。

2011年9月19日月曜日

ローマ人の物語 43(新潮社)

著者:塩野七生 出版社:新潮社 発行年:2011年(文庫版) 本体価格:514円
最終巻ということで巻末には年表とコート紙に4色印刷を施した貨幣の写真が特集されている。ローマを物理的に滅亡させた西ゴート族だが、先住のローマ人とは共存を図る。しかし東ローマ帝国の軍隊派遣により、ローマ人と西ゴート族との軋轢は拡大。ローマ法の編纂で有名なユスティニアヌス帝によるもので、このゴート族との戦乱でイタリア半島は混乱に陥り、東ローマ帝国も衰退の一途をたどる。またローマでは水道は敵の侵入を招くため廃止され、農業生産の基地であったヴィラは荒れ果て、ローマ帝国のインフラが破壊されていく。そして東ローマ帝国の周辺でもイスラム化が進み、イタリア半島はロンゴバルト族に支配されていく。このころ日本では大化の改新の時代。ローマ帝国勃興のころにはまだ日本本州ではローマ帝国の文化は彼岸のかなただったのが、律令国家の根幹を備えていこうとする日本の息吹と地中海の混乱が興味深い。地中海が混乱すれば文化人などは当然東へ退避して、それが隋などに伝来していき、さらには日本へ…と考えるのはあまりにでかい話すぎるか。ただ、それほど現在の地中海周辺は混乱していたともいえる。著者は最後に「礼儀をつくして」ローマの歴史を見直すといった趣旨の文章を書いているが、このローマの成長の原因と衰退の歴史を文庫本でここまで執筆したエネルギーがすごい。そして現在もなお日本のそこかしこにみえるローマ帝国やキリスト教の影響が、世界の相互作用と歴史のすごさを感じさせる。

銀行狐(講談社)

著者:池井戸潤 出版社:講談社 発行年:2004年 本体価格:533円
池井戸潤の作品を初めて読んだのは「鉄の骨」。そのころはまさか直木賞を受賞したり、あるいは銀行出身の作家などとは想像もしていなかったが、この短編集、銀行員出身ならではのノウハウが詰め込まれている。普通預金の出金状態から、口座の所有者のライフスタイルを読み込んでしまうあたりなどはなかなか。江戸川乱歩賞受賞作家らしく舞台が金融機関で、事件が発生という展開が多いのだが、最後の「ローンカウンター」という短編には凄みまで漂う。現金が合わない、振込先の口座を間違える…普通の会社ならば、まあ「間違い」ですみそうなことが、大きな事故に発展していく銀行。バブルの時代とは違って、不良債権の回収や信用金庫の吸収合併など話題もいささか暗い影がさすのも時代のせいか。ログライン(一言で言い表す物語の要約)があるとすれば、「銀行を舞台にした謎の解明」、か。ただし、複数人登場する謎解き探偵はいずれもお金を持ってもいないし、お金に執着もない。著者が銀行員で、現在ではお金を扱わずに「文字」を扱う職業であることと、無関係ではないように思う。

2011年9月18日日曜日

競争戦略論Ⅰ(ダイヤモンド社)

著者:マイケル・ポーター 出版社:ダイヤモンド社 発行年:1999年 本体価格:2400円
購入したのは2010年11月26日第19刷。とてつもないロングセラーだが、経営戦略のスタンダードとされているこの本、やはり現代では必読の書となるか。経営学の一角を占める経営戦略論ではこのマイケル・ポーターが第一人者ということになりそうだ。いきなり競争の要因は競合他社ではない…という命題から始まるあたりも俊才の一文だからこそ。銀塩フィルムメーカーの最大の代替品の脅威はデジタルカメラだったのと同様に、銀塩フィルムメーカーの競争要因は競合他社ではなく別の業種の別のメーカーだった。この一文からそこまで想像で補わないとなかなか理解できない、というのがこの俊才ならではの経営戦略。まあ、そうした競争要因のなかで一番重視しなければならないのが、「競争要因を左右できるポジション」を見出すこと、ということになるのだが…。新規参入や新商品の開発などについては、最近はやりのドラッカーよりも実践的な内容が述べられている第Ⅰ巻。学生よりもむしろ働いている社会人のほうが、理解しやすい内容かもしれない。

ローマ人の物語 42(新潮社)

著者:塩野七生 出版社:新潮社 発行年:2011年(文庫版) 本体価格:362円(文庫版)
実質的にローマ帝国が滅亡した410年を上巻で取り扱い、この中巻では形式的に滅亡した年とされる476年までを中心に取り扱う。ゲルマン民族が攻め込んできてローマ帝国が滅亡した…。ではゲルマン民族はいかにしてローマ帝国に侵入してきたのか。1つは宗教問題が遠因としてあげられている。ローマ帝国はカソリックだったが、ゲルマン民族のうちキリスト教に帰依した族は異端とされていたアリウス派キリスト教。さらには北アフリカでは、ドナートゥス派。さまざまな要因で北アフリカにもゲルマン民族のヴァンダル族がわたり、カソリックであるローマ人を追い払ってしまう。北アフリカはイタリア半島にとって穀物の供給地点であったが、その供給経路もたたれる。宗教問題が食糧問題にも発展していった。2つめは優秀な人材の使い捨て。ガリア地方の蛮族をおさえてきたアエティウスと北アフリカを統括してきたボニファトゥスが内戦をおこし、ボニファトゥスが死亡。優秀な人材を一人失うとともに、帝国皇帝も暗愚の時代が続く。第三はフン族のアッチラによる侵略。こうした形式的な要因はあっれど、もちろんローマ市民権を平等に与えるというシステムの改変による国防意識の欠落といった本質的な要因もある。476年の描写は1000年の歴史をもつ帝国の最後にしてはきわめてわびしい。

ローマ人の物語 41(新潮社)



著者:塩野七生 出版社:新潮社 発行年:2011年(文庫版) 本体価格:438円(文庫版)
白をトーンとした単行本の装丁も悪くはないが、この新潮社文庫におさめられている「ローマ人の物語」シリーズは、装丁がやはり他の文庫本と比較すると際立って上品。約1年ぶりに文庫化されたのは、「ローマ世界の終焉」。テオドシウス帝が死んだ後、東と西に帝国が分割される初期の時期を扱う。実際に西ローマ帝国の要として活躍したのは、「蛮族」の血をひく軍総司令官スティリコ。西ゴート族アラリックとの度重なる会戦、そして皇帝の疑惑を招いて処刑。西ローマ帝国の滅亡と教科書に記載されるのはこれより約70年後だが、よく映画化もしくは描写されるのは410年の西ゴート族によるローマ劫掠。この5日間の掠奪が1000年の帝国の歴史に事実上終止符をうつ。帝国が興隆しつつある時代には読者もまた気分が高揚してくるが、この上巻の最後には「消滅」の悲哀を読み取ることになる。が、「帝国の消滅」をここまで細密に描写され、それを読める機会もまたかなり少ない。歴史の教科書では数行ですまされるくだりに1冊がさかれている贅沢さ。片手で簡単に開けてどこでも読める文庫本に、ふと日本を重ねてみる…。

2011年9月17日土曜日

殺人鬼フジコの衝動(徳間書店)

著者:真梨幸子 出版社:徳間書店 発行年:2011年(文庫版) 本体価格:648円
非常に後味の悪い話ばかりが続くが、妙にリアリティがある…。悪夢を見ているような展開が続き、最後に「ドンデン」がくる…。ミステリーではあるのだが、「ここまでやるか」の連続。子供のころを思い出すと確かに純粋無垢な世界ばかりでもなかったなあ…と妙なところに納得したり。 残虐な話なのだが、こういう「話」が実は「秩序」そのものを維持しているという考え方もある。フロイトばりだが、夢が代償行為になる…といった構図だが、こういう残虐物語も一種「代償行為」になっている面あるような。この本の主人公のような人生はまっぴらだが、小説として読む分には一気に面白く読める…というのは、まあ、一種の代償行為なのだろうなあ…。昭和の妙なレトロで、しかし粘着的な時代風土と平成のからっとしているようで殺伐としたドライさとが1つの書籍の中に同居。作者は40代だが、なるほど両方の時代を生き抜いてきたからこそ、こういう舞台回しができるのかもしれない。

2011年9月13日火曜日

東電帝国 その失敗の本質(文藝春秋)

著者:志村嘉一郎 出版社:文藝春秋 発行年:2011年 本体価格:760円
電力など産業系の大会社の取材暦が長い元朝日新聞記者が現在と過去を踏まえて東京電力の未来を語る。なかなか聞けないエピソードや取材のネタなども掲載されており興味深い。朝日新聞や毎日新聞などが原発について「賛成、しかし…」といった立場に変化していったきっかけやその広告収入などについても著述されている。電力記者クラブに赴任してきたときに著者の大学時代に所属していた「応援部」についてもすでに東京電力のM社長が把握していたというエピソードも記載されている〈63ページ)。2009年に北京に視察旅行にいった現K会長と同席したなかには大手マスコミのOBがずらり。これじゃあ、3月の最初の記者会見で各社の記者も及び腰なわけだ。また東京電力と政治献金をめぐる部分についても、考察が加えられている。著者自身も電気関係の何某研究所の「顧問」とつとめていたとのことで、ある意味では「電気村」の一員という見方もできるが、にもかかわらずこうした「生臭い内容」の新書が発刊できるというのは、さすがの朝日新聞。地域独占などについても著者は悲観的な予想をしているが、さてそれはどうか。東北の地方公共団体をぼこぼこに破壊しつくした東京電力だが、普通の会社だったらもう倒壊している。ある意味、とんでもない債務をせおって、さらには東北の人たちの視線をせおって仕事にいそしまなければならないが、そこまで深刻にかんがえているフシも感覚としては実は見えない。あまりに巨大すぎて、さらには地域独占による売上高が安定していて、かえって当事者でも現実がみれない状況にあるのではないか。政治家もまた同じだが、地域独占や送電と発電の分離などは、もてる政治力と資金力を傾注して阻止にあたるであろう東京電力。安くて良質な電気を供給できる複数の電気事業者こそが、おそらく21世紀のエネルギーのあり方だとは思うが、そこに到るまでには、まだ「痛み」をいくつか経験しないとわからんのかな、とかえって逆にショボンとしてしまう…。

2011年9月12日月曜日

IFRS財務諸表の読み方(中央経済社)

著者:石田正 村藤功 高原峰愛 出版社:中央経済社 発行年:2011年 本体価格:3600円
A5判で334ページ。IFRSの解説書は、ブームをやや過ぎても出版されているが、そうした本のなかでも特に分かりやすいと思ったのがこの本。やや値段は高めに設定されているが、中途半端な新聞記事や「面白本」よりも、実務家の立場からIFRSの個々の会計基準や著者の今後の予測などが有用。妙に固い著述だと、かえって読み手が窮屈になるが、適度に主観的な意見が逆にリラックスして読める。バイエル社や日本の製薬会社など実際の財務諸表の例示も適度に挿入しているのが親切だ。ある程度複式簿記と会計理論に通じていないと読み手には辛いかもしれないが、日商簿記1級の手前程度で十分に理解可能。各種検定試験にも役立つ部分があるだろう。ただ惜しむらくはこの内容は最新の動向まで取り込んでいるだけに改訂版が出ないとすると、2012年早々には陳腐化してしまう可能性も。最近は書店で会計学の新刊がでても改訂版がでないため、事実上の廃刊となってしまう単行本が多すぎるのが残念。ちょっと手をいれれば、さらに読者がついてくる本もそれなりにあると思うが…。

2011年9月11日日曜日

なぜ、エグゼクティブはたやすくバンカーから抜け出せるのか?(ゴマブックス)

著者:パコ・ムーロ 出版社:ゴマブックス 発行年:2009年 本体価格:1280円
購入してからずっと読まない本もあれば、購入してすぐ読んでさらに何度も読み直す本もある。一回読んでさらに再読する価値があると思えば机の右端に積み、そうでない本は捨てる場所へ置く。で、この本…購入してからかなり時間がたち、さらに途中で挫折して今日読み終わったが…。グラシアンという自己啓発の優れた人が昔いたらしく、それを現代版に語りなおしたという設定。知識あふるる爺さんがなにかしらの教訓を若手の男女に伝えるという構図だが、こういう設定ではアーサー王とマリーンの時代からなぜかジイサン。自己啓発的な内容はいわば常識的な内容でもあるのだが、これをさらに物語にすると、読んで楽しいわけでもなく、かといって心うたれるわけでもない…という中途半端な状態に。要は退屈になるんだな。出発してなにかしらの通過儀礼をへて、そして成長していくという構図がなく、ただ「出発前の準備」しかでてこないので読者はどうしても欲求不満になる。しかもそのネタは昔の「賢者の教え」に由来するとなると…。こういう自己啓発本はまたしばらくたつと、装丁や設定をかえてまた出版されるのかもしれないが、これでは読者は逓減していくのではないかという予感が。

よろずのことに気をつけよ(講談社)

著者:川瀬七緒 出版社:講談社 発行年:2011年 本体価格:1500円
ミステリーの単行本はなぜか定価が低い。あらかじめ販売部数が多めに見積もられているせいかもしれないが、これが専門書だともう10パーセントか20パーセントもしくはそれ以上の定価になるはず。この本は第57回江戸川乱歩賞受賞作。主人公は中野の中古一軒家に住む文化人類学専攻の中年男性で大学非常勤講師、コンビを組むのは18歳の女子大生。中野に住んでいる…という設定がまず興味をひき、それから福島県白河市へと舞台が移る。プロップの「昔話の形態学」はロシア昔話をいくつかの類型に分類したが、この小説では見事に、主人公は「呪具」を贈与され、傷をおい、そして「帰還」してくるという構図にはまる。もちろん神話の構図にはまっているのだから面白いに決まっている。題材はどろどろした日本古代の呪術なのだが、構図はきわめて西洋の文芸評論家や文化人類学者が指摘した構図に忠実だ。主人公と女子大生はあるホテルで一室をともにするが、その後の描写はない。だが神話の構図でいけば、この大学講師と女子大生はおそらく物語の中では「近親者」になるはず。したがって描写されていない部分でも、キスもなにも発生していなかったであろう…ということは想像がつく。もちろん物語の設定としては赤の他人なのだが、この人物設定だとこの2人が恋愛関係におちいっちゃまずい…という判断が作者のなかにもあっただろう。やや薀蓄めいたセリフが多いミステリーではあるが、深読みがいくらでもできるミステリーという意味でも興味深い。

2011年9月10日土曜日

わかった気になるIFRS(中央経済社)

著者:中田清穂 出版社:中央経済社 発行年:2009年 本体価格:1800円
読み始めてから気がついたのだが発行されたのは2009年で、まだ資産除去債務などの会計基準が日本ではできていない状態のときの著述のまま。したがって若干、古い部分もあることはあるのだが、それでもIFRSのエッセンスを理解するには役にたつ。営業やSE向けという趣旨の本だが、それにしては逆にやや高度かもしれない。巻末に個別会計システムに対する影響などが特集されているが、SEにとってはこのIFRSはビジネスチャンスであるとともに、システムの頻繁な作り直しが要求される厳しい時代になりそうな予感。逆に営業にとっては、投資家向けのIFRSがどれだけ販売に役に立つのかわからないのではないか。しかもIFRSに適合するような海外で資金調達をする大規模企業に営業という場合には、なにかしらのアナリストの援助があるように思う。まずは複式簿記から固めていくのが常道か。値段はやや高めといった印象。

2011年9月7日水曜日

やさしく深堀りIFRS(中央経済社)

著者:中田清穂 出版社:中央経済社 発行年:2011年 本体価格:2800円
A5判で236ページの本としては高めの価格設定だが、IFRSに興味があり、しかも概念フレームワークからIFRSを理解しておきたいという読者にとっては格好の入門書だろう。1989IFRSと2010IFRSの違いと共通点や、表現の忠実性や関連性といった用語も丹念に解説してある。持分の測定は資産の測定額から負債の測定額を差し引くといったあたりまえのようでいて難しい考え方もさらり。定率法がなくなるといった報道もあったが、表現の忠実性からすると陳腐化が激しい固定資産などではむしろ定率法のほうが現実にかなう場面も想定される。個別具体的な会計処理ではなく、むしろ根本的な考え方を大事にしていくというスタンスが大事にされるようだ。かつてのように企業会計原則や連続意見書の丸覚えですむ時代ではなくなったが、その分、いろいろな考え方や適用範囲が想定される分だけ、経済学マターの人にとっても理系の人にとってもとっつきやすい学問に会計学はなったように思える。

2011年9月5日月曜日

株価暴落(文藝春秋)

著者:池井戸潤 出版社:文藝春秋 発行年:2007年 本体価格:552円
購入したのは2011年7月30日第7刷。やはり直木賞受賞で需要が増しているのだろうか。一種の経済ミステリーといえなくもないが、突如「爆弾テロ」が発生した大手スーパーマーケットの株価が暴落。当初真犯人と思われた青年は逃走劇を繰り広げるが…。という「逃亡者」的展開。実際には株価を暴落させなければならない必然性が実際にあったわけだが、う~ん。警察庁の管轄ではなくても証券取引委員会のほうで真犯人は早々と逮捕されてもおかしくないかも…。大規模小売店法の規制をくぐりぬけて店舗展開する手法や集中仕入れによる品質の低下といった流通論ではなかなか言及されない論点が著述されるあたりが面白い。ミステリーとしての仕掛けは分かる人にはすぐわかるような「動機」か。銀行内部の審査部と企画部の対立は面白いが、実際には審査部と企画部で企画部が「いけいけどんどん」という時代は、この小説ではちょっと通り過ぎている。短い小説でいろいろ盛り込みすぎて、読者がついていけない展開かな、と思ったり。ただ文芸春秋の池井戸潤の文庫本の装丁は非常に綺麗。殺伐とした内容のものも、ないではないが、4色の挿絵が心をなごませてくれる。

消失 下巻(角川書店)

著者:高杉良 出版社:角川書店 発行年:2010年 本体価格:857円
金融庁の検査忌避で刑事立件され、監査法人によって繰延税金資産の計上が認められてなくなったJFG銀行。主人公は金融庁と険悪な関係にあったグループ親会社の社長をともに辞任。ロンドンに次の人生をもとめる…。実在の金融機関をモデルに進行してきた「消失」。論調は市場原理主義をかざす「首相」「金融担当大臣」に厳しい。ただし、かつてのUFJ銀行がかなり強引な営業姿勢をとり、さらに不良債権を抱え込んでいたことには間違いない。吸収合併をされるに到るわけだが、その道筋は必ずしも金融庁の恣意的な裁量によるものとは断定できない部分がある。小説では主人公をはじめとする執行役員や相談役が暗闘しているのだが、その暗闘にむけるエネルギーを別の方向へ振り分けていたならば、業務純益があれほど悪化することもなかっただろう。国際業務やM&A業務などの収益性の高いビジネスモデルについても遅れをとっていたことについては、作家はあまり言及していない。かくして金融腐食列島シリーズは完結するのだが、タイトルがいみじくも象徴しているように、第一シリーズからきわめてドメスティックなビジネスモデルと裏社会とのつながりが「腐食」をまねいた部分がある。最終的には「消失」してしまうこの架空の銀行だが、メンツや根回しを重んじる気風こそが、「腐食」をまねいてしまった。90年代から2004年ごろまでの金融機関はそれ以前の「しがらみ」でどうにも動きがとれなくなってしまったが、2011年現在の金融機関は先が読めない国際金融の世界を前にして次の手を考えあぐねているようにもみえる。安定した融資中心の業務から、不確実性を抱えつつも大規模なシンジケートローンの世界へ。時代の変わり目は2011年以後ということになりそうだ。

2011年9月2日金曜日

消失 中(角川書店)

著者:高杉 良 出版社:角川書店 発行年:2010年 本体価格:857円
金融庁の支店の検査はとにかく厳格とのこと。まずはその検査を乗り切った主人公だが合併後の人事において、「グリーン化作戦」なる一方的な片方の銀行によるもう片方の銀行つぶしがおこなわれる。中巻では上巻の後を受けて、「合併後」の陰湿な世界が描かれ、おそらくは世界最大の自動車会社の子会社に、東海地方の銀行出身者がどんどん流れていく様子が描かれる。銀行のドンにもものおじせずに直言する主人公だが、それでも東京本部に常務執行取締役として復帰。そして進行する内部抗争に心をいたませるが、巨大企業はその一方にきった舵をなかなか切りなおそうとはしない。実際にさらに「その後」を知る現実の世界では、この架空の巨大銀行はさらに巨大な銀行に吸収されてしまうのだが…。


経済小説のジャンルだが、ここまでくると50代ビジネスパーソンの最後の意地の見せ所が満載といった感がある。あまり現実感のない20歳以上離れたカップルの艶話にもかなりページがさかれているのは、一種の「回春小説」か。上巻を読んだときには「え~~」という感じだが、中巻でだいぶそうした場面にも慣れてきた。それにしても、いろいろな血縁や地縁といったものもあるだろうに、合併前の勤務先で派閥抗争がおこなわれるというムラ社会そのものにやや唖然。